谷岡康則


1952年高知県で生まれて、学生運動のあと、私立土佐高校を中退。
その後、大阪、仙台、吉祥寺と流れ歩き、現在は埼玉に居住。
料理店、工事、建設、配達、製本などの各種のアルバイトをしながら
音楽活動やミニコミ誌発行などを続けていたが、
ギター弾きからピアノ弾きとして、音楽で飯を食えるようになった。
PC-6001との出逢いからコンピュータにはまり、プログラマ、SEの仕事を始め
データベース設計の一方、ゲームではプログラムだけではなく、
シミュレーションゲームデザイナーも兼ねていたが、
ある雑誌に紹介されたことをきっかけに文筆活動に入った。
署名入り単行本だけで20冊強、
科学、応用統計、雑学、コンピュータ、インターネットなど幅広い分野の執筆の他
雑誌、新聞等にも発表、また、講演活動を展開していたが、
2004年夏、母の急病、父の急逝で埼玉と高知を往復する生活の中で
筋萎縮性側索硬化症(ALS)を発症、同年末には言葉を失う。

球麻痺先行タイプの筋萎縮性側索硬化症(ALS)であることは、
2005年春に判明したが、治療法がなく、
症状の進行を止められない難病であることから
数年先の死を見つめて生きるしかない状況になった。
しかし、「ALSになったことは不運ではあっても不幸ではない」という友人の言葉の通り
「みんな死ぬはずなのに、そのことを忘れて生きている」状況から
「死を見つめて生きなければいけなくなった」立場、
そう、ALSになったことを武器として、今の自分を発言していくことに
何らかの意義があると考えて、病気を公開し、ALS日記や、
動ける間に全国を回りたいという我が儘な見納め旅行などの「47旅日記」
等を公開し、ライター魂を捨てずに最後まで頑張っている。

2005年6月の段階で、諸事情で、埼玉でひとり暮らしを続けている。
しゃべれないだけではなく、首は、頸椎カラーなしでは保持できず
歩行も困難になりつつあるほか、左手は、腕全体の脱力感と親指の弱り
右手は上腕部の脱力感と、ALSの諸症状は進行しているが、
頑張れるところまで頑張るつもりだ。

こうなれば、怖いものはない(笑)
このHPは、元々、ネット仲間で個人情報漏洩のトラブル等の防止を目的に
啓発のために開設したものだが、私自身に限っては、公開する。

中・高校生時代の詩や作品、20歳前後のオリジナル曲、言葉を失う直前までの
アマチュアピアニストとしてのオリジナル曲も、「恥跡録」や「オリジナル曲」で公開中。
各日記についても含めて、「普通板」に書き込みをいただければ嬉しい。

残された時間はどれだけあるかわからないが
ともかく、生き様と死に様は、カッコつけたいのだ(笑)

2005年6月末              谷岡康則


◆ネット関係で出ている「谷岡康則」等について

・1969年頃、高知県で高校生で学生運動の先頭を切ってたのは私です
・1972年頃、仙台で後衛戦線というバンドをやり、
   月刊ミニコミ「フォークメッセージ」を出したり、ラジオに出演したのは私です
・シミュレーションゲーム「バルチック艦隊」や「連合艦隊の栄光」などのプログラムや
   「大石油王」などを作ったのは私です。
・オウム事件前後にNifty BBS8で発言していた、「Riddle Bear」、
   もしくは「r.bear」、「R.Bear」は私です
・ゴーストライターでの出版物や企業の仕事は守秘義務のため言えません(笑)
・同姓同名で「谷岡康則」という、映画関係のカメラマンの方がいらっしゃるようですが
   そのかたは私ではありません。
   私の名前でググると、かなり大量に出てきますが、その半分近くは、
   カメラマン氏のほうで、「谷岡康則撮影」というのは、私ではありません。
ただし、映画「晴れ、ときどき殺人」のスタッフロールに載っているのは私です(笑)


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