恥跡録


歩き始めたときは、無我夢中だろう。
しかし、道が終わりに近づく時、人はふと、来し方を振り返るという。

ものを書いて、それを発表するということは、恐ろしいことだ。
過ぎ去ってしまったはずの過去が、私の周りに帰ってきている。

誰のためでもない。
「残り」が明示されてきた今、自分のために、軌跡を振り返る。

しかし、我ながら思うけど、
15歳のころも、今も、全く変わってないというか、
全く進歩がないというか
よくも、ここまで、自分であり続けたことだと思う(笑)


私の20冊以上の単行本は、ほとんど「谷岡康則」の本名で発表しているが、
2冊ほど別名で出しているし、ゴーストライトも数冊有る(笑)
ニフティのBBS8では、Riddle Bearや、R,Bear、r.bearだった(笑)


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■■New!■■

■2005/05/16 第五弾・公開
1971年2月 個人作品集「夜があけたら」発見(笑)
1972年〜1973年「ふぉーくめっせーじ」4冊他、仙台フォーク史
1975年5月「高知作家」より「ブルースが唄えるかも知れない」


■2005/04/17 第四弾・公開
1968年?「小説 ある戦い」「童話 喋々のお話」
1996年〜2000年「月刊 ビジネスデータ」連載他


■2005/03/23 第三弾・公開
1968年12月〜「塩岩8〜12号」
1972年2月〜「硝子の詩斑」創刊号
1973年4月〜「ふぉーくめっせーじ」私の最終号


■2005/03/18 第二弾・公開
1967年12月「筆山38号」
1968年?「筆山39号」?
1970年2月「筆山42号」
1972年6月〜「ふぉーくめっせーじ」創刊号〜3号
1988年12月「統計・データの読み方つかみ方」はしがき
1995年11月単行本「科学の疑問 知ってるつもり?」まえがき

1970年初頭?「筆山41号」について訂正


■2005/03/12 第一弾・暫定版として公開
1969年1月「筆山40号」
1970年初頭?「筆山41号」
1970年3月「びたびた創刊号」
1970年7月「塩岩13号」


年代順目次
1967年12月「筆山38号」 2005/03/18 up!
1968年?「小説 ある戦い」「童話 喋々のお話」2005/04/17 up!
1968年?「筆山39号」? 2005/03/18 up!
1968年12月〜「塩岩8〜12号」2005/03/23 up!
1969年1月「筆山40号」 2005/03/12 up!
1969年夏?「筆山41号」 2005/03/12 up! 03/18訂正
1970年2月「筆山42号」 2005/03/18 up!
1970年3月「びたびた創刊号」 2005/03/12 up!
1970年7月「塩岩13号」 2005/03/12 up!
1971年2月 個人作品集「夜があけたら」2005/04/17 up!
1972年2月「硝子の詩斑」創刊号2005/03/23 up!
1972年6月〜「ふぉーくめっせーじ」創刊号〜3号 2005/03/18 up!
1972年〜1973年「ふぉーくめっせーじ」4冊他、仙台フォーク史2005/04/17 up!
1973年4月「ふぉーくめっせーじ」私の最終号2005/03/23 up!
1975年5月「高知作家」より「ブルースが唄えるかも知れない」2005/04/17 up!
1988年12月「統計・データの読み方つかみ方」はしがき 2005/03/18 up!
1995年11月単行本「科学の疑問 知ってるつもり?」まえがき 2005/03/18 up!
1996年〜2000年「月刊 ビジネスデータ」連載他2005/04/17 up!





 
■■■ 1967年12月「筆山38号」  ■■■


中学3年夏に、宗谷岬から佐多岬まで自転車で走破しようとして約2週間で新宿に漂着。
以後の行程を捨てて、「ふーてん」として2ヶ月過ごした経験により、今の私の原点が出来る直前の時期だ。
小学校の時の、作文や児童詩は書いていたが、多分、この時期に文芸部に入部し、これらが最初の作品だろう。
まあ、誕生前なので、超恥だが(笑)、それにしても、死に対するイメージが強い。
今、死を前提にして恬淡としていられるのも、この歴史か?(笑)

■詩 「有機体の昼下がり」 ■
■詩 「あの日」  ■
■詩 「無題」  ■
■創作 「朝靄」 ■




 
■■■1968年?小説「ある戦い」、童話「喋々のお話」■■■


「筆山39号」は未だに見つからないが、その中に掲載された、小説と童話の二編が
現代文芸社の「全国高校文芸 案山子」に転載されていたのが
国会図書館に収蔵されていた。
この2編も、書いたのはおそらく中3の終わりで、高1になって発表されたものだと思う。
のめり込めない自分が、中3の時にもいたわけだ(笑)
「蝶々のお話」は、個人作品集「夜が明けたら」からのスキャンに変更する。
というのも、現代文芸社の編集はいい加減で誤字も多いようだからだ。
「ある戦い」は「筆山39号」が見つからないので、そのまま(残念)。
5/16

■創作 「ある『戦い』」 ■
■童話 「蝶々のお話」 ■





 
■■■ 1968年?「筆山39号」?  ■■■


実は、「筆山39号」は、手元になく、土佐高校に問い合わせても保存されていないという。
そのなかで、この作品は、39号に掲載されていたのではないかと思うのだが・・・
書いたのはおそらく中3の終わりで、発表されたのは高1だと思う。
39号には、他にも創作が2本掲載されていたはずなのだが。。。

■創作 「ピエロの一人言」 ■




1968年12月〜「塩岩8〜12号」  
■■■ 1968年12月〜「塩岩8〜12号」  ■■■


塩岩8号(1968年12月25日発行)、10号(1969年8月1日発行)、
11号(1969年12月27日発行)が見つかった。
どうやら、高一の時から、塩岩に参加していたようだ・・・
塩岩8号には「革命歌(筆山40号収録)」が掲載されていた。

■詩  「彼女は良き希望で存在する」(10号) ■
■詩 「革命」(11号) ■




 
■■■ 1969年1月「筆山40号」  ■■■



中高一貫の私立進学校の、土佐中学から土佐高校へ進学、
100Pを超える文芸部の機関誌「筆山」をはじめて編集したときのものだ。

■詩 「恋人達へ」 ■
■詩 「黙歌」 ■
■詩 「革命歌」 ■
■詩?「会話が構成する幻夢」 ■
■詩 「山の雪ふる・・・」「一人登る」  ■
■ 筆山「編集後記」 ■





 
■■■ 1970年初頭?「筆山41号」  ■■■



この号を編集した後、高校2年終了で高校を中退する。
真冬の校門前でのハンストや、学校側の隠微な「退学」交渉とか、いろいろあるが・・・(笑)。
42号が発見されて、「筆山」は年二回発行されていたことがわかった。
つまり、この号は、まだ、中退が決定していなかった頃なのだ。
しかし、考え方も。この論理の建て方も、皮肉も、ほとんど進歩してない私(笑)。
でも、「変わってない自分」に、ちょっぴり、満足してたりする(笑)。

■詩 「幻想曲」 ■
■詩 「望宿」 ■
■詩 「ははこいうた」 ■
■詩 「呪文」 ■
■寓詩 「三匹の犬」 ■
■シナリオ 「作品No.1」 ■
■詩 「ゆめNo.1」 ■
■詩 「ゆめNo.2」 ■
■詩 「キリスト賛歌」 ■
■詩 「1969.5.22」「転向者の思想」 ■
■評論 「感情的宗教・全学連論」 ■





 
■■■ 1970年2月「筆山42号」  ■■■


この号こそが、高校2年終了で高校を中退する直前のものだ。
真冬の校門前でのハンストや、学校側の隠微な「退学」交渉とか、いろいろあったあと
文芸部は後輩に引き継いだが、表紙はもろに私のデザイン(笑)で、なんと編集前記を書いている。

■ 編集前記「暗き窓辺より」 ■
■詩 「夜」 ■
■詩 「ぷち ぶる」 ■
■創作 「バベル」 ■
■詩 「ルナール」 ■
■詩 「アメリカ女」 ■
■詩 「ふるさと」 ■
■詩 「となりの人達」 ■




 
■■■ 1970年3月「びたびた創刊号」  ■■■


高校中退が決まっていた、高2の終わりに同人誌を発刊していた。
集ってくれた4人の女性詩人達を思い出す。今は、どうしているのか、懐かしい。
ところで、この表紙、これをイラストと呼べるなら、私の唯一のものかも(笑)

■詩 「小さな眠りのレクイエム」 ■
■詩 「GET A MOVE ON!」 ■





 
■■■ 1970年7月「塩岩13号」  ■■■


私の蔵書は、当然まだ、数千冊しかなく、学校の図書館の他、市立と県立の図書館を漁読していた。
市立図書館の清水さんという方から誘っていただいて、高校中退、大検受験後の虚脱感の中で
詩と評論の同人誌に一時的に参加させていただいたときのものだ。
両親より年上の諸同人のなかで、背伸びをしていたのかも知れない。

■詩 「旅立ちV」 ■
■詩 「ある日」 ■





 
■■■ 1971年2月 個人作品集「夜があけたら」 ■■■ 
2005/05/16 up!





どうやら、私は一度死んでいたようだ(笑)
私の個人作品集が、高知の市民図書館と県民図書館で見つかった。
表紙の、この「死亡公告」は、実は全然憶えてなかった(笑)



これを発行したときはまだ18才なのに既に酒飲み(笑)

「目次」 ■
  このページだけは左詰・・・(笑)
ほとんどが、「筆山」等からの再録なので、一部だけをここに掲載する。

■詩 「一九七〇年六月一五日午後七時」 ■
■童話 「蝶々のお話」 ■
「あとがき」 ■
■ と思ったら終わってない(笑) ■





 
■■■ 1972年2月「硝子の詩斑」創刊号 ■■■


仙台時代、「後衛戦線」というバンドを組んでいた。「リードウッドベース」の土田氏は、
私より1歳上で東北大学の学生で、歌は唄わないが詩を書いていた
というわけで、土田氏との「二人個人誌」として、ガリ版刷りで発行したものだ。
なお、数少ない演奏音源はオリジナル曲のなかに収録している

■詩 「連作・れぼりゅうしょん 1〜5」 ■
■ 「あとがき」 ■




 
■■■1972年6月〜「ふぉーくめっせーじ」創刊号〜3号 ■■■


同級生が卒業したころと同時期、私は約三ヶ月間の大阪・豊中市の生活の後、
仙台に流れた。<何故流れたかについては××××が××××したからなのだが(笑)
約一年間、言葉を無くしていたあと、仙台のフォークサークルに参加、演奏活動を開始。
その中で、「音楽ミニコミ誌」の必要を感じ、ブレーキ部品の配送という地味な仕事をしながら
ガリ版ずりの「創刊準備号」を作り、楽器店の他、レコード会社の仙台支店など
全く知らない企業に飛び込み、「月刊誌」を作ってしまう。
一冊16P、50円で、市内の書店や楽器店にも置いて貰い、広告費を含めて、
三ヶ月後には、「印刷費に関しては黒字」を達成してしまった(笑)<もちろん、トータルでは赤字
一年前後、続けた雑誌で、24Pにまでページ数も増えた筈なのだが
手元には創刊号から3号までしか残っていない、

■創刊7月号 「編集後記」? ■
■8月号 「ぼくの感情的音楽論1」 ■
■9月号 「まつしまフォークジャンボリー始末記」 ■
■9月号 「日本語のロック 序論」 ■
■9月号 「ぼくの感情的音楽論2」 ■




 
■■■ 1972年〜1973年仙台フォーク史■■■
■■■ 1972年〜1973年「ふぉーくめっせーじ」4冊■■■
2005/05/16 up!


仙台のラストライブに呼んで頂いた斎藤良氏から、
未発見のふぉーくめっせーじ4冊と共に、
斎藤氏の執筆した「仙台ライブストーリー」という評論の中から、
私の関係した部分を再録させて頂いた。
大学受験で仙台に行ったわけではないが(笑)
過分の表現をしていただいている。
■斎藤良氏より 仙台フォーク史の中での私の部分 ■

以下は、斎藤氏から頂いたフォークメッセージより
■10月号 「オリジナルコーナー・詞と詩」 ■
■10月号 「ぼくの感情的音楽論 あるいは童話として」 ■
■10月号 「編集後記」 ■
■12月号 譜面「夜汽車」 ■
■10月号 「編集後記」 ■
■1月号 「この一年の仙台フォーク界」 ■
■1月号 「ぼくの感情的音楽論最終回」 ■
■1月号 「編集後記」 ■
■2月号 「仙台フォークトピック」 ■
■2月号 「ポップコン'73に参加して」 ■
■2月号 私のバンド「後衛戦線」の紹介 ■
■2月号 「ギター裏街道」 ■
■2月号 「フォーク名盤登場1・早川義夫」 ■
■2月号 「谷岡氏にもの申す」 ■
■2月号 「編集後記」 ■





 
■■■ 1973年4月〜「ふぉーくめっせーじ」最終号  ■■■


仙台には、結局、2年弱しか居なかったことになる。
私が編集・発行した最後の「ふぉーくめっせーじ」が見つかった。
仙台を出て、上京する私のかわりに、何人かのスタッフが発行を続けることになったのだが
わずか数号?(もしかしたら1〜2号?)で終局を迎えたようだ。

■評論? 「友部正人」 ■
■オリジナルスコア 「雪の日のブルース」 ■
■ 最後の「編集後記」 ■





 
■■■ 1975年5月「ブルースが唄えるかも知れない」■■■
「高知作家」より
2005/05/16 up!



今回、高知の図書館で発見した、同人誌「高知作家」の4号の中の一文だ。
同人誌とは言っても、200頁以上有る立派な雑誌で、
プロ作家も寄稿しているものだ。
この時期、私は、東京の吉祥寺で、フリーターをしながら、
ギャラは往復の交通費のみ、ただし飯付き(笑)
という形で、ほそぼそとライブ活動をしていたはずだ。
執筆活動は中断していたはずで、もちろん、この同人誌にも加入していない。
どういう経緯で依頼されて、どうやって寄稿したのか記憶にない(笑)。
■ 「ブルースが唄えるかも知れない」 ■





 
■■■ 1988年12月「統計・データの読み方つかみ方」 ■■■


署名入りの単行本も30冊近いのだが、その中で、もっとも自分なりに納得できた本がこれだ。
ただし、売れ行きは芳しくなく、今は絶版だが、某国立大学で、副読本に採用されたこともあるらしい。
その、はしがきは、今でも同じ気持ちであり、続編を書きたい気持ちは変わらない、

■ はしがき ■




 
■■■ 1995年11月単行本「科学の疑問 知ってるつもり?」 ■■■


本自体は、いわゆる科学の雑学本だが、このまえがきに書いた気持こそが
私の原点であるような気がして収録する、

■ まえがき ■




 
■■■ 1996年〜2000年「月刊 ビジネスデータ」連載他 ■■■ 
2005/04/17 up!



「統計データの読み方・つかみ方」が上梓された縁で、
しばらくの間、日本実業出版社の「月刊ビジネスデータ」という雑誌に
連載や特集記事を書かせて貰っていた。
2000年問題や、セキュリティなど、かなり早い時期に言及していた。
もちろん、予測が間違った点もあるが、かなり先見の明があったのではないかと
一人、自負していたりする(笑)
とりあえず見つかった分をアップしてみよう。


■連載 1996年11月号「インターネット時代のセキュリティ」 ■
■連載 1996年12月号「就職戦線に薄日はさしたか?」 ■
■連載 1997年07月号「年俸制導入のウラで進むオヤジの受難」 ■
■特集 1997年12月号「待ったなし!コンピュータ2000年問題」 ■
■連載 1997年12月号「発信者番号表示はビジネスを変えるか」 ■
■特集 1998年01月号「最新 電話・通信 料金&サービス」 ■
■連載 1998年01月号「金融破綻が相次ぐ中で注目の格付け機関の評価をどう受けとるか」 ■
■連載 1998年02月号「アウトソーシング時代の落とし穴」 ■
■連載 1998年03月号「本格化するインターネットビジネスは流通ビッグバンの呼び水!?」 ■
■連載 1999年03月号「情報が錯綜する2000年問題」 ■
■連載 1999年04月号「ユーザー激増で大注目のLinux」 ■
■連載 1999年07月号「発想の転換から生まれてきたモバイル・インターネットという新しいサービス」 ■
■連載 1999年08月号「ハードウェアを売るだけのビジネスからの転換」 ■
■特集 1999年09月号「インターネット販売 検証データ」 ■
■連載 1999年09月号「問題化するインターネットの業務外利用」 ■
■特集 1999年10月号「ケータイ情報提供ビジネスの有望度」 ■
■連載 1999年10月号「使い捨て携帯電話のいろいろな利用法と問題点」 ■
■連載 1999年11月号「電話加入権の資産としての価値が消滅する?」 ■
■連載 1999年12月号「頻発するインターネット上の企業告発サイト」 ■
■連載 2000年01月号「2000年はインターネット新時代へ突入」 ■
■特集 2000年02月号「中小企業のインターネット取引実態データ」 ■
■連載 2000年02月号「格安パソコンの登場で一気に進むパソコンの家電製品化」 ■
■特集 2000年03月号「最新通信各社の料金&サービス」 ■
■連載 2000年03月号「ネット時代の到来で重要性を増す企業情報セキュリティ」 ■
■連載 2000年05月号「地上波放送のデジタル化でコンテンツ争奪戦が激化」 ■
■連載 2000年07月号「パソコン販売台数がテレビを抜いてトップに」 ■