極私的土佐日記 あらため  極私的ALS日記

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無謀な思い上がり
2006/01/12

自分がもう健常者でないことを、頭の中で理解していても、それを常に意識することは難しい。特にALSのように進行が早いと、つい思い上がってしまう。
先日の転倒もそうだ。
もし、転倒が不可抗力なら、夜中の用便や、寝る前の飲酒後の方が、転倒の危険性は高いはずだ。しかし、今までの転倒事故は、ケガをした1回以外は、全て昼間だ。飲酒後や夜中には、自覚が大きく、慎重な上にも慎重に歩く。それに対して、昼間はつい油断をしているのかも知れない。

衣服の着替えと冬の到来が一緒になったため、通院は苦労をする。ALSの病院と、10年来の高血圧の病院と、それぞれ4週間に1回は行かなければいけない。これまでは、まだ車を運転していたので何とかなったが、運転も封印してしまったため、つい近所の高血圧のかかりつけ病院にも行けない。通院するためには、普段自宅にいる服装では寒すぎるし、逆に外へ行ける服装では、部屋では暑すぎるのだ。
ところが、毎週水曜日には、午前11時には訪問リハビリが終わり、午後2時半には家事援助が始まる。
療法士のN氏に、今開発をもくろんでいる「半自動起きあがり装置」の実験を手伝って貰った後、これも本来の業務外の着替えをして貰った後、N氏と一緒に部屋を出た。近所の高血圧の病院へ行くためだ。福祉のタクシーチケットも月3回だが、使えるようになったこともあり、まだ、なんとか一人で行けると思い上がってしまったのだ。

その思い上がりは、部屋を出たとたんに、潰された。N氏に見守って貰いながら、階段を1段降りたときに、だ。
わが家の階段には手すりがあるが、降りるときは左側で、昇るときは右側になる。
一歩目を踏み出したとたんにバランスを失い、倒れそうになり、手すりを持った手に力を入れようとしたが、左手の力はほとんど無い。N氏がとっさに支えてくれなければ、間違いなく階段落ちをしてしまっていた。
考えてみれば、約1月ぶりなのだ、階段を下りるのは。
しばし呼吸を整え、2歩目を踏み出す。今度は、腰を手すりに押しつけることですこしずつバランスを補正したのだ。
でも内心は、かなり焦っていたし、半分後悔をしていた。しかし、今更引き返せない。
N氏をハラハラさせながら5階を降りきると、当然タクシーはとっくに到着していて、私を待っていた。心配するN氏と別れ、健常者が乗ったら怒られる距離を病院に向かった。しかし、頭の中では、もうこれが限度だ、と理解した。
病院では、少し前から訪問医療制度がスタートしたことを知っていたので、次回からは通院を諦めて、訪問医療を申し込んだ。

処方箋を貰い、数軒隣の薬局に行く。
病院が混んでいたことあり、時間がかかったが、実はほっとしていた。というのも、この時間の流れだと、階段昇りが危険なら、階段の昇り口で午後のヘルパーを待つと言うことも出来るからだ。

来るまで待てばいいと思って帰ると、なんと、信頼するヘルパーのS氏とばったり!強運なのだ、私は(笑)。
S氏に左側を支えて貰いながら階段を昇る。しかし、降りるときに比べたら、すごく楽だ。降りるときは、1段毎に両足を揃えていたが、昇りでは半分ほどはリズムに乗り、片脚で1段を上る。力の残っている右手で手すりを持ち、左はS氏に支えられているせいもある。
危険を感じることもなく、5階まで昇れたが、もちろんこれで思い上がってはいけないと、自省する。

本当に無謀だったと思う。
今日は、前回の転倒を心配して頂いた、ケアマネとサ責の二人が来てくれたので、反省と、福祉用具レンタルで「歩行器」をお願いする。
「半自動起きあがり装置」がうまくいったとしても、転倒しないことが大事なことは言うまでもない。
もう歩くことは難しいと、自ら認めることで、出直しだ。

実は、関東地方で1月5日に再放送された「新・京都迷宮案内」の「奇妙な落書きの謎」という老父を介護する娘の話が、妙に印象に残った直後の話だ(笑)。

一寸刻み
2006/01/09

ヘルパーさんに頼んで、マイクスタンドの位置を3cmほど低くして貰った。イルリガートルを吊すとき、持ちあげてカーテンフックに掛けるのが、今の高さだと少し辛くなってきたせいだ。もし、紐式の仕掛けを工夫してなければ、もうとっくに自分ではセットできなくなっているが。
冷蔵庫も今は扉の部分にアイスコーヒーと牛乳を置いているだけだが、その出し入れもかなり厳しくなってきている。出し入れに邪魔になる、扉の卵棚の部分も外して貰った。まず右手ですこし持ちあげ、底の部分を上向きにした左手の手のひらに乗せる。そして、右手で掴みなおして、両手で捧げ持つようにして、冷蔵庫から出すのだ。なんと礼儀正しい姿だろう(笑)。

機能の衰えのうち、手の使える高さは、一寸刻みに低くなってくる。
もう、洗顔は全く出来ない。顔の部分だけは清拭して貰うことにした。
睡眠も、1セットが1時間〜1時間半で、夜に2〜3セット、昼に1〜2セットでなんとか眠っているが、寝返りの打ち方や、丁度良い枕の高さも、微妙に変わってきている。まだ、左手の親指は、内側に曲げる方の力は少し残っているので、電動ベッドのコントローラーを使うことができるから、たすかっている。
ずんぐりとしてるだけあって、親指の力は一番強いようで、電気ポットの給湯ボタンは、右手の他の指ではなかなか反応しないが、右手の親指なら、まだ余裕で使えるのだ。
左手は、5本の指をまっすぐ伸ばそうとしても、全部内側に曲がって、年老いた魔法使いのようになる。一部では「鷲の手」と呼ばれるヤツだ。

しかし、徐々に衰えてはいても、それを使わなかったために、突然、その機能が喪われていることに気が付くこともある。

昨日の12時過ぎ、遅い朝の注入を済ませて、使用したイルリガートルとコップを両手に持って(と言っても左手は、鷲の手に引っかけただけなのだが)椅子から立ち上がった。何を油断したのか、よろけてしまい、そのまま倒れ込んだ。
この時、うまく尻餅をつくように落ちていれば良かったのだが、身体をかばったせいか、ずるっと横になってしまった。
上半身を起こそうとするが、手ではもう起きられない。足を使うためには、引っかけても動かない、どっしりとした家具が必要だ。足を使って、のたくるようにベッドの下まで着いた。
しかし。両足にどんなに力を入れても、上半身を起こすことが出来ない。右手も使うがダメだ。何回かチャレンジしている間に、息が苦しくなってきた。
手足の弱った人が転倒すると、まず俯せになると上半身を起こしやすいという話が頭をよぎったが、胃瘻が腹部にあるため、4ヶ月以上俯せになったことがない。しかも、私の場合手の弱りが大きく、パジャマのズボンをハンケツより上に上げることすらできない(笑)。

幸い、昨日は入浴介助の日で、2時半には力の強いヘルパーのN君が来てくれる。
パソコンでは、朝録画した、「1週間のニュース」番組を再生しはじめたばかりだ。時計を見ることは出来ないが、この再生が終わったあと30分ほどでN君が来てくれる。あがくのはやめた。
しかし、床というのは、結構寒いものだ(笑)。おまけに枕がないので、頭の位置が難しいし、寝返りを打っても、すぐに身体が痛くなる。以前のプチ遭難の時は眠れたが、さすがに眠れない。
そうこうしている間に、番組の再生が終わり、部屋は静かになった。あと30分だ。だが、この30分が長かった(笑)。

玄関でチャイムが鳴り、N君が入ってきた。助かった。

しかし、今回は、2時間少しの待ち時間だとわかっていたから耐え切れたが、ヘルパーが帰った後で転倒したら、24時間動けなくなる。心理的にもキツイし、きっと糞尿垂れ流しも間違いない(笑)。


仕事の関係もあり、私には、近所に友人がない。いや、正確に言うと、仕事の関係ではなく、私の性格のせいだが(笑)。
もし喋れたら、どうしようもなければ119という手もあるが、喋れない以上、訴えようがないし、それ以前に、ケガもなくて、ただ起きあがれないから起こして欲しいと119したら、叱られそうな気もする(笑)。

もちろん、もう起きあがれないことを実感したから、今まで以上に注意はするが、もし今度倒れたらどうしようか、いろいろ考えている。
とりあえず、胃瘻チューブが短くなったため使えなくなったゴムひもネックレスを再利用して、携帯電話を首からかけることにした。少なくとも、携帯メールは出来るからだ。
突然、「××××に電話して欲しい」という、私からのメールが来たら、よろしく(笑)。

失敗
2006/01/03

と、偉そうなことを書いたが、失敗だらけであることは言うまでもない。

巧緻運動障害、というらしいが、脱力と共に、手先がどんどん不器用になってくる。面白いことに、「あ、やばい、ここで力が抜けたら、必ず落とすぞ」と思うと、間違いなく落としてしまう(笑)。車椅子の回りは、机から落ちた、薬やボールペンや、空の薬包などが死屍累々としていて、ヘルパーさんの餌食になる(笑)。
特に、最近多いのが、薬の注入の失敗だ。
胃瘻チューブのタイプが変わり、一つは短くなったこと、そして二重構造のためチューブが頑丈で硬くなったせいだ。イルリガートルチューブやシリンジを接続するときは、「クランプ」と呼ぶ動作をする。胃瘻チューブを折り曲げて、胃からの逆流を防いで、接続口から漏れ出さないようにするのだが、短いのと硬いので、このクランプが途中で外れてしまうのだ。左手が使えなくなったら、一人では注入できなくなるというのは、片手でクランプしながら、もう一方の手で接続口のキャップを外し、イルリガートルチューブやシリンジをそこに差し込む必要があるからだ。
片手でなんとかできないかと、いろいろ検討したが、例えば逆流を防ぐほど強力な洗濯ばさみのような物を使おうとしても、右手でそれを開かせることが出来ない。
他にも検討はしているが、今のところ使えそうな物は見つけてない。
で、弱った左手の指の力は期待できないので、手のひらの力を使ってクランプしているのだが、どんなに注意しても失敗する。
クランプは接続時と、取り外し時に必要で、栄養液の注入時に6回、シリンジの使用時に10数回と、あわせて20回近くを1日にしているのだが、最近は毎日のように失敗する。成功率95%でも、1日1回は失敗するわけだ。
注入時は、車椅子に座って、机の前でやっているのだが、このクランプの失敗をやると、栄養液や薬を、上半身の着衣とズボンの両方にまき散らしてしまう。栄養液は糖分が多くベタベタするし、薬は乾いてくると、白い粉を吹いたようになる。
もっと単純な作業でも失敗はする。ボトル型イルリガートルに栄養液を入れるという、超単純作業でも、栄養液のパックを落としたりする。今日も上半身の着衣に引っかけてしまった(笑)。

もう、自分では上半身の着衣の脱着は出来なくなったので、上半身の着衣だけなら、ヘルパーさんが女性でも、着替えさせて欲しいとお願いできるようになった。でも、どうも、下半身の下着のお願いはしづらい。多分、私の自意識過剰なのだろうが(笑)。
まあ、今のところ、時間さえかければ、下着とズボンの着替えはギリギリ何とか自分で出来るのだが、お尻の真ん中当たりまで上げるのが限度で、手の角度の問題と、力の問題で、それ以上、上げることは出来ない。
これは着替えだけではなく、大便のあともそうで、どんなに頑張ってもハンケツだ(笑)。
そこでその状態で、車椅子に腰掛けて、摩擦抵抗を大きくしながら、腰を前にズラしてズボンを上に上げるわけだ。

ただ、我ながら無頓着になったと思うが(笑)、べたつく栄養液ならともかく、薬をこぼした場合など、着替えずに次の入浴までそのままのことも少なくない。失敗が夜だと、翌日の午後でないと、ヘルパーさんが来ないから、その間に乾いてしまって違和感が無くなっているせいだ(笑)。

しかし、失敗を予測しながら、予測通り失敗してしまうというのは、情けなくなるが、多分、これも健常者感覚が邪魔をしてしまうせいだろう。

肉体の機能が失われるというのは、想像しても、なかなか理解できない。本人が言うのだから間違いない。
例えば先日、ある人から、キーボードを打ちづらくなったら、携帯電話型のキーボードがあると、紹介された。もちろん、親切心で、広いキーボードを手が行き来するのが大変だと言うことを思いやってくれたのはよいが、携帯電話型のキーボードを持つことが出来ないこと、そしてキーを押すのにも力が要ると言うところまでは思いつかなかったのだろう。そして、それは当然のことた。本人の私ですら、上記のように、クランプの変わりに洗濯ばさみを代用品として使えないかと思ってしまったりするのだ(笑)。締める力が強い物は、それを開くのにも力が要るというのを思いつかないのだ(笑)。

では、どうすればよいかというと、試行錯誤しかない。錯誤して良いのだ、試行できる間は。どうしようもなくなるギリギリまで、試行を捨てる気はない。
いつの日か、乗り越えられなくなる日がくることはわかっている。でも、乗り越えられる間は乗り越えよう。そして、乗り越える手伝いをしてくける人達の手も、恥じらいや思い上がりを捨てて、素直に借りていこう、と思う。

腕の衰退
2006/01/02

わが家は紐だらけだ。段々腕が上がらなくなるにつれて、これは今のうちに、低い場所で操作をできるようにしなければ、と、いろいろなものに紐を付けたからだ。胃瘻への注入が、未だに何とか自分でやれるのも、マイクスタンド改造型イルリガートル吊るし台のおかげだ。
肩から上腕部にかけての拘縮と筋肉縮退のせいで、腕が上がらない。幸い、肘はまだ十分曲がるので、胸の当たりまでは手を上げることが出来る。もちろん、肘を折り曲げてでの話だから、身体からの距離が離れれば、そんな高さまでは上がらない。
栄養液をセットしたイルリガートルは結構重いが、力のなくなった左手でも、ぶら下げることは出来るし、鷲の手にすっぽり収まる大きさである、ボトル型のイルリガートルを少しの間なら支えることも出来る。そして、イルリガートルを、点滴が出来る高さまで上げるのも、紐を引っ張ることで出来るから、なんとかなるのだ。もし、正規の点滴台を購入していたら、つり下げることが出来ないのはもちろん、高さ調節も出来なかっただろう。

去年最期の訪問看護に来ていただいた看護師が、「最近、酒量が増えたのか?」と心配してくれた。というのも、台所に、ほとんど空になりかかった、2.7リッタ入りのプラボトルが3本も並んでいたからだ。それは、買ったばかりの、満杯の焼酎ボトルを持ちあげる力がなくなったために、飲み干したボルを捨てずに保存し、新しく買ってきたボトルの中身を、1/5くらいに分散してもらっているからだ。そのことは「介護の方々へ」というマニュアルにも明記している、しかし、こんなことを書いている介護マニュアルって、ほんとに良いのか?(笑)

でも、実は、こういうことはQOLには大事なことだと思う。胃瘻については、PEGドクターズグループという篤志の医師達のHPで随分勉強させて貰ったが、栄養液に酒を混ぜると酒の種類によっては凝固することについて、掲示板に報告させていただいたが、その時、有る医師が、「さすがに入院している患者には出せないが、症状と病気の種類によっては、在宅患者になら教えて上げたい」と書き込みを頂いた。
治療の妨げになるような行為はもちろんいけないだろう。ただ、ALSのような治療法のない病気には、適度な範囲で、飲酒も含めた、「やりたいことをやらせる」ことは必要だと思う。
政府のやりたいことは、「治らない病気の長期入院は認めない」ということだから、「患者なら患者らしくしろ」と言えるはずもないからだ(笑)。
しかし、長期入院を認めず、在宅に追いやる厚生労働省は、まさに姥捨推進省と言うべきだと思う。

最近は、牛君と蛙君が協力することも憶えた。と、こんな書き方をしたら10年後には意味が通じないかも知れないが(笑)、まず、左手の肘を曲げて、右手で左手を伝うい、左手の上に右手を乗せることで、右手単独よりも少しは高い場所に持っていくことも出来るのだ。
ただ、本がほとんど読めなくなったのが辛い。本を持つことが辛いし、本を机に置いたままだと、今度は首が辛いのだ。最近は、ほとんどがパソコンとインターネットだ。胃瘻の普及にしろ、インターネットの普及にしろ、私は実に恵まれた時期に発症したと思う。

いろいろな動作が、バランスだと言うことも、明白に自覚し始めている。
そして、重心の位置なのだ。

私の足の指が、どうやら他の人より長いことは自覚していたが、療法士さんのお墨付きを得た(笑)。車椅子に腰掛けて、腰を前に滑らすのが、今の私にとって一番楽な姿勢だが、立ち上がるときが一苦労だ。重心がずれているため、慎重にしないと、椅子から落ちてしまう恐れもあるので、身体を揺らしながら、微妙に重心をずらすのだ。以前は、腕の力を添えることが出来たが、今では、肘掛けの上に手を乗せることさえ一苦労だ。そこで活躍するのが、右足の指だ。机の脚を右足の親指と人差し指で挟み込み、力を入れることで、重心移動に役に立つのだ。

機能が少なくなってきたら、残った機能を総動員して、組み合わせることで何とか穴埋めをする。ビンボー人の知恵だ(笑)。

祝杯
2006/01/01

アダムが食べたために、エデンを追い出された、知恵の木の実によって得られた「知恵」とは、「命には限りがあるということを自覚する」と言うことではなかったかと、昔から思っていた。「食べれば死ぬ」という脅かしは、「食べなければ死なない」ということであるし、しかも、「命の木の実」と並んでいたというのも象徴的だ。

「人は必ず死ななければならない」ということを知られることは、絶対神の支配には、実に不都合だ。どんなにがんばろうが、どんなに敬神しようが、どんなに追従しようが、死んでしまう、というのであれば、従う気も少なくなるだろう。死を覚悟した者がどれだけ強くて恐ろしいかという実例は、世の中にいっぱいある。
だからこそ、「物理的死はあくまでかりそめ」と言わざるを得なく、天国や、来世や前世などの作り事によって、「支配からの脱却は無理」と説くのが宗教の常套手段だ(笑)。

実は、正月は、私にとって、それほど嫌いな物ではない。毎年、おせち料理の大半は私が準備していた。といっても、料理好きな私が全てを作っていたというわけではない。おせち料理には、あまりにも好きじゃない物と高すぎる物が多いため、安くて好きな物を買い集めて盛りつけをしていただけだが(笑)。
1年前、高知で迎えた正月では、喪中であることと、実家の習慣で、仕出し料理をとったが、私の得意料理でもある、煮豚や煮玉子も作った。私の「料理の腕」をほとんど知らず、懐疑的だった母や妹に、少しは納得させることができたとは思うが(笑)。
まさか、その1ヶ月後にALSの宣告をされるなんて思ってもいなかったのだが。

たった一人の正月だ。年越し蕎麦も、お雑煮も好きだったのに、年末も年始もラコールという名の栄養液だけだ。
ただ、酒に強い割に、私は陽のあるうちに飲酒するのは好きではない。一日中、酒を飲み続けるのも嫌いだ。そんな私の唯一の例外が元旦で、朝から酒を飲んでいた。
それも今年はやめた。今、夜の9時だが、まだ酒は入ってない。
この日記を書き終えたら飲み始めるつもりだ。
最近、安全のため、酒の量を、以前の6割程度に減らしていた。
以前書いたように、酒の酔いによる力の衰えは、ALSの衰えと近似だからだ。
ども、今日は少し飲もうと決めた。
正月だからと言って、いつもと違う日でないことはわかっている。でも、折角、テレビではお笑いのオンパレードだ。
今年が良い年にならないことはわかっているし、次の年を迎えることが出来るかどうかもわからない。でも、いいだろう? 一人で祝杯を挙げても?
なんのための祝杯かって? なんでも良いのだ。花が咲いたといっては飲み、花が散ったと言っては飲むのが酒なのだ。

うん、それなりにそこそこ頑張ってるぞ、私。
自分への乾杯だ、そしてまだ生きている事への祝杯だ!

区切り
2005/12/31

さて、私に似合わぬことをする(笑)。

言葉を失い、ALSと診断された1年が、今日で終わる。
死を覚悟し、そして、死は一人で背負うしかないと思ったことが、独居を選択した理由の一つでもあるのだが、それは傲慢だった。

介護認定を受け、今は多くの人に支えられて生きている。
それらの人々の支えがなければ、そろそろ餓死している頃だと思う(笑)。


まず、初期の頃から、私の「工夫」に付き合っていただいた友人のN氏。私の工夫の半分はこの人のおかげだ。いろいろ甘えさせていただいた。感謝するしかない。
遠くて逢えないが、介護の実際や制度についていろいろ助言を賜ったS氏も、かけがえのない友人だ。そして、この日記を書き続ける原動力でもある、週刊D誌のN氏の励ましにも感謝だ。
そして、介護制度を利用することで知り合った、ケアマネのD氏、サービス提供責任者のI氏。日々お世話になっているN氏、T氏、S氏の3人のヘルパー。わがままな私に付き合っていただいて、本当にありがとうとお礼を言うしかない。
年末年始も付き合っていただいて、もうしわけない。
もちろん、主治医のM氏、医療相談室のK氏とS氏、そして病棟でお世話になった、T氏をはじめとする看護師の方々にも感謝しかない。毎週訪問看護できていただいているY氏、そしてリハビリをしていただいている療法士のN氏とK氏がいなかったら私の不安はもっと大きかったと思う。医療機器販売のE氏にも随分ご迷惑を掛けた。市役所のS氏や保健所のT氏にもいろいろな助言を賜った。
同じALSでご家族をなくされたI氏や、K新聞のO氏の来訪も嬉しかった。
もちろん、高知で母の面倒を見てくれている家族と、そして柱になってくれている妹にも感謝するしかない。

独居ではあるが、孤独ではないことを嬉しく思う。


しかし、それにしても、照れるなぁ、謝辞なんて。
私向きではない(笑)。
ともかく、あと24時間で、今年はおわり、新しい年が来る。
最期の年かもしれないが、来年もよろしくお願い致す。


なお、イニシャルに間違いがあった場合はすみません。喋れなくなってから、人名は口に出せないので、漢字でしか憶えてないら、読みが間違っているかも知れません(謝)。

歩く
2005/12/30

歩く、というなんでもないように思われる行為が、実はとても難しいものだというのは、ホンダの開発した人型二足歩行ロボット「ASIMO」が、最初の研究着手から、約20年を掛けて、やっと今年末に、ほぼ人間と同等の、早足や、ジグザク走行が可能になったことを見てもわかる。

http://www.honda.co.jp/ASIMO/history/history_01.html
を見ると、1986年に2足歩行の原理を究明することから始めたとある。そして、一歩一歩の歩みを、常に重心を足の裏の範囲内に置くことを「静歩行」、身体の勢いを利用して、重心の位置が、足の裏から外れて、スムースに移行することを「動歩行」とわけている。現在のアシモが、人並み以上にスムースに動けるのは、この動歩行の実現のための研究の成果だ。静歩行の場合は、一歩に数秒以上がかかったという。
もちろん、私は専門家ではないので、「静歩行」「動歩行」という分類が、一般的かどうかは知らない。しかし、今、転倒の危険性のために、動歩行が不可能になり、一歩一歩ゆっくり歩く歩き方は、まさに重心の位置を確認しながら行う、静歩行しかできなくなっている私には、無条件で納得できる。

力ではなくて、バランスなのだ。私の足の力は、まだかなり残っている。リハビリに来ていただいている療法士が、手で足を押さえようとすると、けっこう大変らしい。と言っても、それは横になっているからで、先日は入浴介助をして貰っているとき、お湯の栓を抜くのが早すぎて、いつもは浴槽内で何とか立ち上がれる私が、介護の人に持ちあげて貰わないと立ち上がれなかった。湯量が少なくなりすぎて、利用できる浮力が少なくなっていたのだ。
まあ、それでも、歩く力は残っているし、ベッドの寝返りも、ベッドの枠に足を絡めることで出来ていることは何回も書いた。
それでも歩くことは難しいし、例えば床に座ると、立ち上がることも難しい。立ち上がるという動作も、重心の移動で、手に力が残っていると、わりあい簡単なのだが、手の力が期待できないと、非常に難しいのだ。
そう言う意味では、日常生活の困難度を調べるために、足の力を計ることは余り意味がないのではないかと思う。

ただ、そう言う意味で、アシモの「歩行に関するプログラム」がどうなっているか、見てみたい気もする。たくさんのセンサーからの数値を元に、たくさんの制御モーターに命令を出しているはずだが、それをどのようなまとまりで部品化しているかに興味がある。そして、そのような一種の部品化をしなければ、全て個別に命令を出さないといけないノイマン型コンピュータに対し、人間のような、非ノイマン型のシステムと、どこがどう違うか、もし研究するチャンスがあったら、のめり込んでいたような気がする。

少し自慢をさせて貰う(笑)。というのも、ここで言っておかないと、私のやったことは消えてしまうからだ(笑)。

私が、パソコンを始めたのは、誰に習ったわけでもなく、パソコンの存在すら知らなかった。ある日の新聞広告で、家庭用のテレビを使うパソコンが89800円(少し記憶は曖昧だが)で売りに出されたと知って、そしてスタートレックゲームが出来るということがわかったのだ。NECの「PC−6001」通称パピコンと言う物だった。今から25年前だ。
当時、ピアノの弾き語りだった私は、早速購入しようとしたが、かなりの衝撃的なデビューだったようで、入荷がかなり遅くなると言う。懇意にしていた電気店で、実機が来るまで1ヶ月間、マニュアルを借りることが出来た。この「触る前にマニュアルをじっくり読む」しかなかった時期がよかったようで、当時のパソコンは、同時にプログラム言語の勉強機でもあったので、概略を理解できた。ところが実機が来ても、またその上で走るソフトウェアもない。本屋で探したら、私のやりたかったスタートレックゲームのプログラムが載っている本があった。ところが、なんとそのプログラムは、海外の別のコンピュータ用のプログラムで、それを作りかえる必要があったのだ。そうやって、プログラムを憶え、1年後には、ピアニスト兼プログラマというわけのわからん私が誕生したのだ。

シミュレーションゲームデザイナ兼プログラマとしての私は、かなりいろいろなゲームを作った。もちろん今のゲームに比べれば、古色蒼然としたちゃちなものだが、当時としては画期的なシステムを幾つか作った。例えば、日本海海戦で、各戦艦の大砲が撃てる角度を厳密に策定し、しかも艦隊行動の進行方向と、各艦の進行方向をきちんと区別した。あるいは、フィリピン沖海戦では、シミュレーションゲームとしては多分世界で初めてセミリアルタイムシステムを実現した。
このあたりは、「古いパソコンゲームに関する掲示板」に、私の作品名を発見したときは嬉しかった。
また、レーザーディスクとパソコンを連動させた作品もある。

ゲームだけではない、これは、諸事情により、お蔵入りに近い物になってしまったが、当時、表計算型データベースと、カード型データベースがあった物を、統合型データベースを作れと言われ、全体設計と、根幹部分を作ったことがある。それも、当時のデータベースは、ほとんどがコマンド型だったが、「選択式」、つまり、キーボードからコマンドを入力するのではなく、画面表示を選択するだけでデータベースが設計でき、しかも、画面に表示されるのは「日本語」という、それまでにないユニークな物だった。

歩行の話から、昔の自慢話になってしまったが、年末の棚ざらえと言うことで、ご勘弁(笑)。

信じない
2005/12/29

実は、私は信仰による病気治癒という奇跡はあり得ると思っている。
10数年前のNiftyBBS8での進化論論争や、このHPの「独り言」にも書いたように、私は、「進化とは、単なるサイコロ振り」で、合目的的に進化したなどとは思ってない。しかし、それでも、生き残っている以上、そこには偶然できあがっにせよ、実に巧妙なシステムを持っていると思うのだ。例えば、妊娠中の母体と胎児の間の濾過システムなど、そこに神の意志を見いださないと理解できないのも仕方がないと思えるくらい、巧妙なシステムだと思う。
そして、その中には、自己修復システムが何重にも試行錯誤されており、花粉症や、ガン細胞は、その試行錯誤の行き過ぎや、失敗の一部ではないかと思うくらいだ。

だから、「この病気は治る」と信じることで、治る、と言うことはあり得るし、その「信じる」という行為の対象は、「神」だろうと鰯の頭だろうと、詐欺師だろうと余り変わらないと思う。
その一番の証明が、新薬の二重盲検テストだ。
偽薬服用群が真薬服用群と、効果の差が出ることで、真薬が有効であろうと証明されるわけだが、面白いのは、偽薬服用群の方に効果が出ることがあることもある、という点だ。もし、「心理的治癒力」がなければ、偽薬服用群に効果が出るはずはない。
私は、「新薬の実験をする」と告知した段階で、既に純粋な実験結果は出ないのではないかと思っている。「新薬を服用させていること」を内緒にしたまま、真薬と偽薬を使い分けるべきではないかと思っている。新薬の実験という段階で、期待効果が出てしまうと思うのだ。

もちろん、私が言っているのは、「信じる対象の真偽で、信じることによる効果が違う」ということではない。もし、効果があるとすれば、それはあくまで「信じる人個人の資質=システム」の問題だと言うことだ。
「信じる」ことも感情も思考も含めて、脳内の働きは、あくまで化学的、物理的なメカニカルなものだと思っている。つまり、信じるという行為が、潜在的に眠っていた自己治癒システムを起動することがあり得る、と言う意味だ。
だから、「奇跡」があるとすれば、その奇跡を起こすことが出来た当人の能力であり、同じメカニズムを他の人が持っているかどうかと言う保証はないし、起動のメカニズムも、当然、人によって異なるだろう。

また、全ての病気に対する治癒能力があるとは思ってないし、起動した「メカニズム」が、「良い方向に働く」可能性も保証されては居ないと思う。
よく効く薬に副作用が多いように、起動したメカニズムが、自爆装置である可能性もあるわけだ。

ALSのように、「病気として認識」されて、もう100年を越すのに、治療方法どころか、その発生の機序すらわかっていない病気も珍しい。個人的には、ウイルス性インフルエンザや鼻風邪などを総称して「風邪」というように、ALSは実は、機序が異なるいくつかの病気を総称しているのではないかと思っているが、それでも、治療法の端緒すら見つかってていないのは確かに辛い。

実は、私がALSであることを公開してから、信仰や薬を薦める怪しげなメールは少なくはない(笑)。
ただ、幸いなことに(笑)、疑い深いのと、金がないため引っかかってないだけのだ(笑)。

もし私が、大金持ちで、捨てる金が有れば、無駄を承知で引っかかったかも知れない(笑)。ただし、それは怪しげな薬の場合で、信仰や宗教には、引っかかってないと思う。

冒頭で、「信じることで治るかもしれない」と書いているのに、残念だが(笑)、私は、「真の神」と「鰯の頭」は同じものだと言うことを「知っている」からだ(笑)。だから、「信じることで治るかも知れない」ことは信じていても、それは私にはあり得ない、と言うことを自覚している。
そして、そういう自分であることを、少し残念であるとも思うが、基本的には自慢できると思っている。

何かを信じることが出来たら、楽な場面、というのは人生に何回もあった。それは、ある意味で、判断基準を放棄し、身を委ねることだ。しかし、私にはそれは出来なかった。そして、今、ALSという病気を得た自分を、これだけ自分にふさわしい病気もない、と思う部分があることも事実だ。

そう、「信じることで治る」ことがあり得るとしても、そんな治り方は、私にはふさわしくないし、そんな「薬」の服用は断固拒否する(笑)。
共通倫理や、共通価値基準体系を拒否して生きてきた人生だもの、今更ね(笑)。

最後の工夫?
2005/12/28

自分で工作することはもうできないが、アイデアはなんとか湧く。また、こんな物が欲しい、というイメージも出て来る。幸い、こんな物をこんな感じで、というと、何とか形にしてくれる友人もいる。ただし、絶対の原則がある。それは、できるだけ金を掛けないこと。理由は簡単。金がないからだ(笑)。

もっとも、「工夫」もそろそろ終わりになる。自分で使うから、自分のために工夫をするわけで、全介護されるようになれば、「何をされたい」かを言うことができるとしても、それをどういう方法で行うかは、介護する側に任せるしかないからだ。ということで、「私の工夫」は、以下のもので打ち止めになるかも知れない。

まず、薬箱だ。内服薬の服用をヘルパーがしてくれるのは医事行為でないと厚生労働省も認めた、ということは以前にも書いたが、私の場合、ALSの病院で処方された物と、昔からの高血圧のについてかかっている病院の薬と、2系統あり、数も多い。そこでヘルパーが間違って、責任問題になると申し訳ないので、1日3回、1週間分を、私の責任で分類し、指示をして、もし間違っても、それは私の責任だと言うことを明確にしたいということで、薬箱を作ってもらった。
間仕切りは、100均の物で、いろいろなサイズがあり、自由度も高い。この作品は、全面的に友人が作り上げてくれたものだ。

トイレについては、福祉の補助もあり、補高便座付きのウォシュレットを入れることが出来た。
まず手前にある、幼児用の椅子が、一切工夫をしてない工夫だ(笑)。
今の自宅に引っ越してきたときは、この椅子の元の使用者である息子は、もうこの椅子が不要になっていたはずで、なぜ引っ越し時に捨ててこなかったか不明だが、これには随分助けられた。まず、この背もたれ部分が、用便時に前垂れをする頭の、額を乗せるのに丁度なのだ。また、補高便座を入れたが、足の長い私には、まだ数cm低い。このため、立ち上がるときにこの椅子を持つことで、危険が低減するのだ。もちろん普通の椅子でも使えなくはないだろうが、幼児用のため、この椅子は幅も奥行きも狭いので、トイレの中に持ち込みやすいのだ。

ただ、用便後、水を流すのが少し辛い。というのも、水を流す栓は一番奥にあり、手が水平に上がらない私としては、かなり危険な姿勢を取らないと流せない。また、ウォシュレットのおかげで尻を洗い、送風で乾かす前に、水を流した方が衛生的だが、座ったままでは、当然水を流せない。
そこで配管設備を見ながら閃いたのがこの紐だ。この紐を押すだけで、水洗コックがが動くわけだ。
これを思いついたときに、取り付けてくれたのは、あるヘルパーだが、拙宅に来たのが2回目の人で、私が何をしたいのかという意思の疎通がうまくいかず、失敗した。水は流れても、紐をコックに取り付けるガムテープの抵抗で、コックが元に戻らなかったのだ。しかも、紐を付けたことが、元に戻ろうとするコックを阻害しているようで、重りを着けた方が確実だ。

と言うことで、初期バージョンを取り付けた数日後に、完成した薬箱を持ってきてくれた友人に改修して貰ったのがこれだ。たばこ屋で貰った、重いライターを綺麗に取り付けることで、見事に作動するようになった。
もっとも実は心配が一つ有る。ウォシュレットの操作アームの一番奥のボタンが「送風」なのだが、その一つ前が「ピデ」ボタンなのだ。身体を捻れない私としては、ひやひやしながら送風ボタンを押しているが、きっといつの日か「ビデ」ボタンを押してしまいそうな予感がする。その時には、どこにお湯がかかってくるか、戦々恐々としているのだ(笑)。

さて、パソコンの隣にあるこの電気ポッドは、何の変哲もない、ごく普通のものだ。ただ、哺乳瓶用の60度保温モードがあるのが便利だ。で、この蓋を開けているのは、別に使用していないわけではない。ちゃんと沸騰モードなのだ。
蓋を開けることによって、一つは「加湿器」として使用している。最近は室内の湿度が20%になることも多いが、これにより、40%近くまで上がる。また、水を入れたとき、一旦沸騰してから60度の湯温になるまでかなり時間がかかるが、蓋を開けているとかなり早く希望の定温になるのだ。
最近の電気器具に多い、過剰な安全機能が無く、蓋を開けたままでも沸騰してくれるのがうれしい。
で、電気ポッドの右横に浮遊している菱形の固まりは、マイクスタンド改造イルリガートルつるし台の紐の先なのだが、胃瘻サポートを受けるようになったときに、2台のイルリガートルを吊すことが出来るように、カーテン用フックを増設したわけだ。

あと一つ、以前紹介したゴムひもネックレスだが、今回交換したバルーン型のチューブは前のものより短いので、使えなくなった。ただ、ゴムひもを長くするだけでは解決できない、チューブの腹からの突き出し角度と位置の問題があるのでもう少し検討する予定だ。

マニュアル
2005/12/27

介護を受ける身になるなんて思っても居なかったし、実際に何をしてもらえば良いのかわからない、と書いていたのは3ヶ月ちょっと前だ。ところが、初めてヘルパーに入って貰って、もう丸3ヶ月になる。
わずか三ヶ月で、買い物やゴミ捨てどころか、階段の上り下りすら、一人では出来なくなっている。
介護度認定の申請なんて、「早めの準備」と思っていたが、タイミング的にはドンピシャだった。電動ベッドが届くのか1月遅れていたら、自力で起きあがれない朝になっていたし、要介護度3という認定も、今でこそ、まだ半分以下しか消化していないが、このままではおそらく、一月も立たない間に、フルに活用させて貰い、しかも要介護度の再見直しを申請するしかないと思う。
左手が全く言うことを聞かなくなれば、栄養液や内服薬のセットは自分では出来なくなるからだ。1日分の食事を作り置いて貰い、冷蔵庫に置いておいて、それを取り出すのならば、片手でも何とかなるが、胃瘻では、片手しか使えないと一日2食に減らして、一日2回来て貰わないと、飢え死にするだろうからだ。

一日2回の家事援助で、どうやって切り抜けるかのプランは大体考えついたので、胃瘻サポートマニュアルの「4.暫定」の項にまとめた。

はじめて介護を受け始めたときに、「よりよい介護を受ける」ためには、介護を受ける側が、「何を望んでいる」かをわかって貰う努力が必要と思い、ただ、喋れない私としては、それを文章にまとめる、つまりマニュアルを作る必要があると思ったと書いた。「マニュアル」と言っても、「こうしなさい」という縛りではなく、「こうして欲しいと本人は考えている」という希望手順だ。HPの板で、その辺を勘違いした方と、少し論争があったが(笑)、あくまで、「私のことを伝えたい」ためのもので、例えば「入浴マニュアル」の前に、「介護の方へ」という自己紹介の文書があったのだ。
しかし、症状の進行と共に、自己紹介の内容も変えなければいけないし、実は入浴手順も大きく変わった。寒くなったこともあるし、ますます保持できなくなった首のこともあるし、今は、西洋式に、洗身から洗髪まで、ほとんどの作業を浴槽内に浸かったままでやってもらっている。このあたりは、沸かした風呂は自分しか使わない独居の利点だ(笑)。

ということで、自己紹介や、入浴手順なども含めて、「介護の方へ2006年版」ということで、修正したものを一つにまとめて、ALS関連アーカイブにアップした。
リハビリがはじまって、リハビリの間はパソコンから離れる必要があるので、その場合に使用する「文字板」の紙版もつくった。濡れないようにビニールシートに密封すれば、入浴中にも使える。
介護関係者など、このマニュアルの不備な点や、問題点を、連絡板への書き込みかメールで指摘して頂ければ有りがたい。
正直言って、今のペースだと、おそらく「2007年版」はないと思うので(笑)、これをシェイプアップしたいのだ。
「ウルサイ被介護者」がいることで、介護側と被介護側を結ぶ一助になれば、私がこんな立場になったことも、少しは意義があると思えるからだ。

ところで、我ながら毛深いなと思った(笑)。
というのも、新しい入浴方法で、足を洗って貰うときは、浴槽に浸かったまま、ハリウッド映画のように、浴槽の縁に我が足を突き出すからだ。つくづく毛深いと感じる(笑)。

でも考えてみたら、当然だ。なぜなら、体重は4割減った。ということは体表面も減っているわけだ。しかし、体表面が減ったからと言って毛の数が減るわけがない。つまり、単位面積当たりの毛の数は増えたことになる(笑)。
しかも、もう外出をすることが無くなって、一日中、ルーズなパジャマのようなものを着ているため、摩擦による「毛切れ」も少ない。しかも痩せたことによって、身体のサイズは縮んでいるから、毛の長さが前と一緒でも長く感じる。
まあ、元々、毛深いとも言うが(笑)。

それにしても、嫌になるくらい、進行が早い。
「肉体機能のアルジャーノン」としては、結構辛い面がある(笑)。

さて、真面目な話、特に、介護・医療関係者と、患者・家族関係者からの各「マニュアル」についての御意見、御感想メールを待っている。

偽造の元締首相(笑)
2005/12/26

別に、引き籠もりになったからと言って、社会問題に無関心になったわけではない。特に、耐震偽造問題は三つの側面で興味を持って見ている。
もう新聞の購読は止めたが、日本で一番面白くて優秀だと思っている東京新聞のHPと、パソコンで録画したニュースもちゃんと見ている。

この問題には、三つの興味がある。

まず第一に、震度5強で倒壊する恐れがあるから退去勧告というのが不思議だ。古い家屋で、それ以上、地震に弱い家屋はいくらでもあると思うのだが?
テレビ番組によっては、そのことに触れる場合もあるが、具体的に現存の既建築物の耐震強度を検証した物を見たことがない。戦後しばらくの間に建築された建物で、震度5弱に耐えきれない恐れのある建物はいっぱいあると思うのだが・・・。
ついでに、新しい「耐震強度単位」を作り、「アネハ度0.5以下の建物は全て取り壊す」ことにすれば、随分空き地が出来そうな気がする(笑)。

もう一つは、コンピュータのソフトウェアの問題だ。
ビジネスソフトや技術計算ソフト、あるいは官公庁や企業関係のソフトウェアしか携わったことのないプログラマほど、頭の固い連中は居ない(笑)。仕様書の要件を満足させることについては考えるが、「万一の異常時に対する備え」を考える人は、この手の中にはほとんど居ない。だからこそ、東証での異常発注や、アクセス集中に耐えきれないプログラムを作ってしまう。
私は、プログラマの中で最も危機管理能力があるのはゲームプログラマだと思っている。
例えば、ロールプレイングゲームやシミュレーションゲームのプログラマで、「キャラクタデータの改竄の可能性」を念頭に置かないプログラマは居ないと思う。
相変わらずの技術音痴のテレビ番組の報道では、「何の欠陥により改竄が可能になったか」は見えないが、私の推測では、2種類の可能性があると思っている。一つは、構造計算の前提になる定数パラメータを可変にしていて、しかも、その数値を変えたことが結果に明確に見えない、つまり「履歴管理」のミスがあるのではないかと言うことだ。
もう一つは、印刷などの機能を他のソフトに頼り、「印刷データの数値をとてもわかりやすい形(笑)」でファイルとして外に出し、またそれを取り込めるのではないかと思うのだ。
改竄の可能性が少しでもあり、それが許されない電子データには、途中経過のデータ管理、履歴管理、そして、自己チェック機能が不可欠だ。

実は、私のHPには、現在5つのBBSを設置しているが、これは、有名なフリーCGIを少し改良して使わせて頂いている。ところが、秋口から、業者の書き込みが異様に多くなり、当初はIP制限をしていたが、あまりにも変だ。特に、明らかに日本人向けではない書き込みまで多い。そこで気が付いたのは、もしかして、「bbsのcgiプログラムを自動的に検索して、自動的に書き込むソフトが出回っているのではないかと推測し、ファイル名を変更した(それが各板に書き込んだ「直リンクしていると来られなくなる」という掲示の真相)ら、見事的中。2週間、あれだけ多かった業者カキコが無くなった。
つまり、プログラマには、「想像力」が不可欠だが、ビジネス系や、官公庁系には、そう言う資質の無い人が多く、そう言う意味では、姉歯氏は私の側に近い思考を持つ人ではないかと思った(笑)。

さて、3つ目の問題だが、実は、これが最も大きい。
「民間検査機関へ委託する」という規制緩和(?)の最大の目的が、「検査期間の短縮」により、バブル崩壊以降、落ち込んでいた建設・不動産業界への梃子入れではなかったかと思うのだ。たしかに、官の検査は融通が利かず、期間も長い。それを円滑にする、ということは、合法的手抜きであり、それを不法な手抜きに利用されただけではないのか?
小泉流「民活」とか「行革」は、まさにこの路線であり、「古典的資本主義」の最大の欠点、つまり経済的効率最優先の側面だと思うのだ。

以前にも書いたように、「官の役割」は、「経営効率を優先したら民ではやれない」無駄をやることではないだろうか?
もちろん、官僚優遇や、天下りや官製談合などの「職務遂行上の無駄」を削減するのは当然なことだ。しかし、福祉や医療など、「無駄と思われるかも知れない職務」をやるのが「官」だと思うのだ。
コスト重視の受益者負担では、国民の中でも、弱ければ弱いほど痛みと傷を大きくするのだ。
ある意味で、その極端な例が、姥捨山と、水子の間引きだ。

「自立支援法」という名前を聞く度に、「自立の可能性がなく、悪くなる一方のALS患者なんか、捨て置け」と言われているような気がするのだ(苦笑)。

総研なる会社の社長のごまかしを耳にする度に、あ、ミニ小泉だ、と思うのは私だけ?(笑)

短期入院
2005/12/25

4ヶ月ぶりに再入院してきた。胃瘻のチューブ交換のためだ。前回の受診時には、2月頃に交換しようかいう話で、今月は受診せずに薬だけ頂こうという話になりかけていたのだが、ある用件のため(これについては、結果がわかり次第報告する)診断書が必要になったこともあり、通院が不可欠になり、それならば短期入院して、交換しようと言って頂いたのだ。
運転は封印したため、行きは介護事務所のサービスを受けて、送って貰った。

二泊三日の入院だが、病院は新棟が完成し、真新しくなっていた。一方私の方は、4ヶ月前には考えもしなかったほど症状が進んでいた。ベッドの上で、久しぶりにノートパソコンを使おうと持っていったが、超軽量型のノートパソコンなのに、バッグから取り出すことすら、自分では出来なくなっていた。また、腕が上がらないため、ベッドの上でパソコンを使うのが辛く、念のため持参した、文字紙(自作の文字板のようなものを印刷したもの)を使う方が多かった。

それにしても、当たり前のことだが、自宅に比べると、病院は、時間を過ごしづらかった。自宅は、自分が少しでも楽になるように、機材を揃え、セッティングもしている。それに比べ、病院は、いろいろな患者を受け入れなくてはならないから、標準的な仕様であることは当然だ。
思ったより厳しかったのが、ベッドのクッションだ。自宅のレンタルベッドでは、一番硬い物にして貰っているが、病院のベッドは少し軟らかいようで、身体が沈み込む。
そして自宅では、上着に半袖の化繊の滑りが良い服を着ているが、患者衣に着替えた。身体が沈み込むことと、患者衣とシーツの摩擦が大きいため、自宅ではかろうじて可能だった寝返りのための体位変換が出来ない。
「患者衣とシーツの摩擦なんてたいしたことではないだろう」と思う人がいるかも知れないが、ほんの微妙な差が、私のようにギリギリでやっている人間には、大きな動作の差となるのだ。その証拠は、以下の経緯で証明できる(笑)。
入院した最初の晩、自宅の室温より病室の室温が低く、自分の手では掛け布団を引き寄せることができない私には寒すぎた。そこで、夜中に、入院時に着ていた化繊の上着を持って、ナースステーションまで行き、着せて貰った。そうすると、摩擦がかなり減ったために、自宅ほどではないが。わずかな寝返りはうてるようになったのだ。

それにしても、病院は、全介護状態にならないと、過ごしづらいみのだと再確認した。例えばトイレのトイレットペーパーの位置一つにしても、私には取りづらい場所なのだ。このあたりは、車椅子用の公衆便所などもそう感じるのだが、一人で使うものではなく、介護や看護する人がいることが前提になっていると思うのだ。

正直言って、二日後に帰宅したときには、ほっとした。これも当然なのだが、大部屋では他の患者もいるので、いろいろと眠れず、浅い眠りを短時間繰り返していたのだ。
もちろん、自宅でも、長時間眠れるわけではない。1〜2時間毎に、身体が痛くなってきて、寝返りを打つわけだが、健常者の頃のように無意識で寝返りをできるわけではない。電動ベッドのコントローラーの向きを確認し、操作しながら、次はどの体位を取ろうかと考え、足を使う。完全に覚醒していないと、寝返りは打てない。だから、1回の眠りは持って2時間程度なのだ。
しかし、習慣とは恐ろしいもので、新しい体位になると、すぐ眠りに落ちる。そして、どんな体位でも、電動ベッドのコントローラーは手放していない(笑)。

ところで、一つだけ意外なことかあった。今まで着けていたのはバンパー型のチューブ式で、当初の話では交換時には、同じバンパー型でもボタン式になると思っていた。ところが交換が済んだら、やはりチューブが付いており、しかもバンパー型ではなくて、バルーン型になっていたのだ。おそらく胃瘻造設手術のとき、私が余りにも胃カメラ挿入で苦しんでいたのを見た主治医が、交換に胃カメラを使わず、しかも交換時の痛みも少ないバルーン型にしてくれた物と思われる。

ただ、いくつか問題があり、前の物は腹からチューブが付きだした後、横に寝るような形で取り付けられていたが、バルーン型チューブは垂直に突きだしている。また、バルーン型のチューブは、胃の中に栄養液などを送り込む内側の管の外側に、魔法瓶の真空層のような二重構造で、そこから精製水を送り込み、胃の中でのチューブを抜け無くさせるためのバルーンを膨らませるようになっている。その分、チューブが太く、また、硬めになっている。寝返り時など、腕が上がらなくなった私は、どうも、胃瘻孔の付近を擦るような感じなのだ。
また、バンパー型に比べ、バルーン型は破損や水抜けなどの事故も多いらしい。患者の胃の中のphや状況によって違うが、メーカー側は、念のため1月で取り替えて欲しいと言っているようだ。しかも、一週間に一回は、バルーン内部の水を交換してチェックするわけだが、訪問看護師さんと、緊急時にどうするかを打ち合わせておく必要がありそうだ。というのも、胃瘻孔は、チューブを引き抜くと、早ければ丸1日で、塞がってしまい、また、再造設手術が必要になるのだ。チューブが抜けたら、抜けたチューブの一部をムリヤリ孔に突っ込んでおく必要がある。
喋れない私としては、緊急時の連絡方法や対処法も決めておく必要がある。

もっとも、何事にも、利点もあれば欠点もあるものだ。
近い将来、胃瘻による注入をヘルパーに手助けして貰わなければいけなくなるが、医事行為に抵触しないことが必要だ。胃瘻サポートマニュアルにも書いたが、普通の場合は厚生労働省の通知により、医事行為ではないと確信しているのだが、ボタン型になった場合、ストマのパウチ交換で「肌に密着したパウチ」については、医事行為とみなされる可能性があり、ボタン式は、それに近いのではないかと危惧していたのだ。しかし、チューブ式である点は、前と同じであり、問題なく、サポートして貰えそうだ。
もっとも、折角作った胃瘻サポートマニュアルを修正しなければいけないが(笑)。
でも、新しいヘルパーに私を理解してもらうための、状況説明や、入浴方法も身体の機能喪失に伴い変更したこともあり、年内に、2006年改訂版を作る予定だ。
多分、2007年版は、無いだろうな(笑)。

転倒無視の産婆
2005/12/11

もちろん、タイトルに意味はない(笑)

で、ここ3週間で4回転倒した。

1度は、ALSの病院に通院する朝、少し気が急きながら、健康保険証を探そうとして、後に転倒し、ベッドの横に片付けていた扇風機に激突し、扇風機は二つに分解し、背中の方も少し出血があったようで、2週間後もアザが残っているようだ。この時は、起きあがるのにも苦労し、30分くらいかけて身体の位置をずらしながら、何とかつかまり立ちできる場所を見つけ、立ち上がることが出来た。
次は、予定外の福祉用具担当の人が来宅したとき、日程を変更して欲しいというファックスを送っていたのを探そうとしていたときだ。このときは、ベッドの枠を乗り越えて、後頭部からではあったが、ベッドに倒れ込んだため、痛みもなく、またその人に起こして頂いたので問題なかった。
三度目は、ベッドのそばで、足を取られ、前のめりになった。この時は、目の前がベッドだったので、意識して倒れ込むのを自己許容した面がある。
そとて、最新が先週金曜日、市役所に身障手帳の更新やいろいろな手続きをとるために外出しようとしたときに、外出介助のために来てくれた人の前で、やはり書類を探そうとして、後に倒れ込んだ。このときは頭も少し打ったが、一度ゴミ箱に当たったせいか、大した痛みはなく、むしろ、薄くなった尻への方が痛んだ。もちろん、起きあがりは、サポートして貰ったので、問題なかった。

この4回を分析すると、「精神的に焦っていたとき」、「人がいるためかえって安心していた」などの要素もあるだろうが、半分意識して、前に倒れ込んだとき以外の3回に共通しているのが、「物を探そうとしていたこと」と、「後に仰向けに倒れ込んだ」ということだ。

ALSの首の前垂れのせいで、視界は普段は、真下の半径50cm程度でしかない。棚などの置いている物など、自分の正面にある物を探そうとすると、首を少しでも上げなければいけない。以前なら少しぐらいは、それも可能だったのだが、今はほとんど出来ない。それでも、そうしようとする動作の中で、重心が後ろに移動してしまって、それを補正できないまま、後に倒れ込んだようだ。

健常者の頃は、「つんのめる」というよう、前へ進もうとしている動作が、なんらかの要素でストップされ、ただ、前に移動していた重心が、慣性で前に進み転倒する、つまり前のめりの方が多いように思う。それに対して、今の転倒は、重心が微妙に後にずれたものを補正できないまま、重心が移動を続け、その結果、仰向けに後に倒れ込んでいるのではないだろうか?

先日、トイレを掃除しようと思って、前のめりになりかけたが踏みとどまることが出来た。もちろん、前に倒れて、便器に首を突っ込んで溺死なんて、絶対嫌だという意志の強さのせいだったのかも知れない(笑)。

ただ、なんとなく、前への重心移動の補正の方が、健常者時代の経験もあり、やりやすいまかもしれない。
介護の人なら、既に経験則で知っているのかも知れないが、私に付き添って頂く場合は、後へ倒れ込む方を見守って頂く方がよいと思う、
私も、そのことを念頭に置いて、行動することにする。
床に座り込んだだけでも、立ち上がるためには、かなり、良好な捕まり場所が必要だからだ。
転倒は無視できないし、サンバのようなアップテンポのBGMは自粛しよう(と、強引にタイトルに結びつけようとしたりする(笑))。

胃瘻サポート
2005/12/10

極私的胃瘻生活サポートマニュアルをやっと完成させ、PDF化して、「ALS関連アーカイブ」にアップした。

手を水平に伸ばす力がなくなっているので、キーボードの上に手を「滞空」させることが出来ない。
横移動も尺取り虫移動なので、入力は遅いし、誤入力も多い。
それでも、キーボードを打つしか方法はないのだが(苦笑)

胃瘻注入は医事行為でないことを介護事務所にも納得して貰わなければいけない。
なにしろ、左手が完全に使えなくなるのは間近で、そうなると、サポートを受けるしかないからだ。

アップしたマニュアルとダブルが、胃瘻注入サポートは医療業務でないという理由を、こちらにも掲示する。



胃瘻に注入する行為は「医事業務にあたり、ヘルパー等にはできない」と考える介護事務所もあるようです。
しかし、胃瘻注入に関する作業は、2段階に分けて考えることが出来ます。
一つは、イルリガートルやシリンジを洗ったり、その中に栄養液や、野菜ジュースなどを入れて、患者のそばまで持っていくまでの作業です。
イルリガートルや注入に使用するシリンジは、医療保険の対象外で、患者が自腹で購入しています。それは、これらは、基本的に食器であり、コップであるからです。したがって、食器に食材を盛りつけたり、掃除することは、単なる家事支援であり、医事業務とは無関係です。特に、本マニュアルの「4 暫定」でヘルパーにお願いする作業は全て、家事の範囲であると考えます。
ただ、シリンジに詰めた薬や、「医療保険で処方された栄養液」は薬であるという解釈も出来ます。
この点については、「医師法第17条、歯科医師法第17条及び保健師助産師看護師法第31条の解釈について(平成17年7月26日医政発第0726005号通知)」という厚生労働省の通知で、「個々の患者に処方された内服薬や舌下錠を服用させたり、座薬の挿入」は、医事行為でないと明記されています。
したがって、注入行為は、明白な「内服薬の服用」であり、問題ないと考えます。また、シリンジに薬を詰める行為も、「粉薬が苦手な患者のためにオブラートにまとめて包む」行為と、なんら変わりがありません。

次に、イルリガートルチューブを胃瘻チューブに接続したりする行為ですが、これも、上記通知には、「肌に接着したもの以外のストマ装具のパウチから排泄物を捨てること」は問題ないと有ります。
ストマと同じく、胃瘻も医療行為によって開けた穴ですが、それに接続されたチューブに、他の物(パウチのような容器)の脱着が問題ないわけですから、胃瘻チューブにイルリガートル等を脱着することも許可されていると考えも問題ないと思います。

唯一、クレンメの操作により注入速度を変更することや、シリンジの内筒を押し込んで薬を注入することについてですが、これも、「食事や内服液の服用」であれば、「意識のない患者に対して勝手に注入する場合」は微妙に問題になるかも知れませんが、「意識のある患者の意志と指示に沿って」力を出せない患者の動作のサポートをするのでしたら、問題ないと考えます。


実はこれらの点について、2回も厚生労働省に問い合わせたのですが、いつもは返答してくれる厚生労働省が、この件に関しては一切回答をしてくれていません。

現在、従来の中心静脈による経管栄養(これは医事業務であると私も考えます)や、経鼻の経管栄養にくらべ、胃瘻腸瘻患者は非常に増えています。そして、それらの患者の多くが在宅や老健などの施設に暮らしています。
これに対して、「胃瘻注入は医事業務である」と断定してしまうと、胃瘻患者には食事の度に、医師か看護師が付き添う必要が出てきて、コスト的にも人員的にも大変なことになります。

しかも、胃瘻注入の作業は、本マニュアルに示したように、非常に簡単で、事故の可能性は調理介助より少ないくらいです。
ですから、グレーゾーンのままにしたい、というのが厚生労働省が回答しない理由ではないかと考えています。

そして、前記の通知により、胃瘻注入作業のほとんどは、問題なくなったと考えて良いと思います。

もし、胃瘻患者である貴方が、胃瘻注入の手伝いを「医事業務であるからできない」とヘルパーや事務所に言われたら、本稿のことを説明した後、それでも医事業務と考える理由を説明させましょう。そして、あくまで拒むなら、事業所を変更することをお薦めします。
なぜなら、胃瘻注入をサポートできるとする事業所も増えつつあるからです。

覚醒
2005/12/05

窓を開けた。

一つには、風邪気味で、部屋の温度が下がることを恐れたせいもある。また、10日前の、扇風機を壊し、背中に傷を負った大転倒が、窓を開けるために歩かなければいけない通路に這っているコード類が原因で、そこを歩くのを自粛していたせいもある。

でも、窓を開けて、空気を入れ換えなければならない。
そう決めたのだ。

丸二週間、落ち込んでいた。
病名が確定して、10ヶ月間、あまりにも張りつめ続けていたせいかもしれない。
腕を前に出すことができなくなり、キーボードも尺取り虫打法しかできなくなったために、誤入力が多発する。転倒を繰り返し、運転ももう出来なくなったことがわかる中、要介護認定がおり、週のうち5日は、ヘルパーと訪問看護が、来宅し、そのあいまにも友人や、ネットで知り合ったご家族をALSでなくなられた方や、保健婦など、いろいろな人と逢った。
もしかすると、人と逢うことで、一人で張りつめていた線が緩んだのかも知れない。
人々が帰った後、ムセながら痰を吸引したり、ほとんど使えなくなった左手をなんとか活用しながら、栄養液や薬をセットしたり、一時間も持たない眠りから覚め、足を使ってムリヤリ寝返りを打つたびに、もういいじゃないか、と思うようになってしまっていた。

来春まで、頑張る。その来春を迎えることが出来るのかどうか、もし、迎えることが出来たとしても、どんな形で迎えることが出来るのだろうかと考え出すと、もういいじゃないか、と思ってしまうのだ。

そう思うと、メールにも返事を出すことも、板へのレスを書き込むことも、日記を更新することも、胃瘻注入をヘルパーにやってもらうためのマニュアル作りも、なんだか億劫になってきていたのだ。

2週間ぶりに、タバコを吸った。うまかった。
そして、今、久しぶりに、日記を書こうとしている。
入力速度は遅い。手を机に滑らしながら、ゆっくりと書く。
私も人並みに弱い人間だったのだ。
それを確認した。
だから、窓を開けることにした。
弱い人間で良いじゃないか。もういいと思っても良いじゃないか。
だから窓を開けた。
峻烈な冷気が部屋に入ってきた。
もう上着を着ることもできないから、寒いっちゃ寒い(笑)。
でも、目を覚ました。

よし!

青汁と吸引
2005/11/20

外出がままならなくなった。もちろん、足の弱りが大きいのだが、それ以上に、一人で頸椎カラーを装着するのが難しくなったのだ。短い距離を歩くだけなら、頸椎カラーなしでも何とかなるが、運転の場合は不可欠だ。なりしろ頸椎カラー無しだと、ちょっとしたショックでムチウチになりそうだし(笑)、前垂れしていたら、前を見ることが出来ない。

幸い日常の買い出しは、必要なものは少ないし、家事支援のヘルパーがしてくれる。問題は、近くで売ってない物や、自分の目で確かめたい物などをどうするかだ。

もちろん、ネット・ショッピングしかない。
だが、10年以上前に、有るビジネス誌で、「インターネットの商用利用で一番のネックになるのが、客が店を、店が客を信用できるかという問題だが、その次のステップとして、物流の問題がある」と指摘したように、送料と支払い方法の問題があるのだ。
面白いことに、一般商品に比べて、パソコン系のネットショップでは、クレジットカード決済が出来る店は、安売り系であればあるほど少ない。おそらくはギリギリまでの安値を付けているために、カード会社に支払う手数料を出したくなくて、代引なら顧客に全部出させることが出来る、と言う理由なのだろうが、例えば5000円程度の物を購入するのに、送料と代引手数料で1500円以上かかる店も少なくない。「価格.com」で最安値の店よりも、少し高くても、送料代引手数料を合わせると、かえって安くつく店も多い。
もちろん、交通費のことを考えれば、それくらいはしょうがないこともあるのだが。

最近、またいくつか買い物をした。

胃瘻による栄養液注入では、私のように胃腸がしっかりしている患者は、吸収率が良すぎて、大便がほとんどでない。オムツ生活に入ればそれの方がよいのかも知れないが、自分でトイレへ行ける間は、やはり有る程度の便の量を確保しないと(笑)、便秘になって地獄の苦しみを味わう。そのため、野菜ジュースに、さらに植物繊維の多い青汁の粉を混ぜて注入しているのだが、この青汁の粉がなかなか溶けない。
数社の製品を試したのだが、やっと、溶けの良いものを見つけた。
井藤漢方製薬の「100%大麦若葉」という製品で、しかもケンコーコムで100g682円とかなりの格安。その上、3000円以上は送料無料、カード決済可なので代引も不要。5箱を注文したが大正解だった。
ただし、栄養成分が他社の製品に比べて良いかどうか、あるいは経口摂取したときの味がどうなのかは一切責任を持たない。胃瘻患者にとっては「溶けやすさ」だけが問題で、その点では、この商品はベストチョイスだった。

もう一つ、サイドテーブルも買った。福祉用具レンタルで立派なサイドテーブルも借りているのだが、これは寝たきりになったときのキーボード置きに使う予定で、もう1台必要になっていたのだ。
というのも、痰や唾液の吸引器を使っているのだが、それまでは、パソコンの仕事机の一角に置いているため、ベッドでは使用できない。この吸引器を移動できるようにしたかったのだ。
これも格安の商品を見つけた。送料込みで2604円、しかもカード決済だから、これだけでよい。
ただ、哀しいことに、届いた商品を組み立てようとしたら、非常に簡単であるにもかかわらず、途中で挫折した。力が全く入らないのだ。
友人が来るのを待って、組み立てて貰った。吸引器がずれないように、トレイを布のガムテープで固定して、その上に置き、吸飲チューブ清掃用の水の入ったビンが、移動時に倒れないように、接着式のマジックテープをビンと吸引器に取り付けることで転倒を防ぐことにした。
工夫のアイデアはいくらでも湧いて出るのだが、それを実行することが自分の力では出来なくなっている。友人やヘルパーに頼むしかないのだ。

冬用の掛け布団も、すぐベッドから落ちてしまう。そこで、3隅の角を縛って紐で括り、ベッドに縛り付けて貰った。半寝袋状態にして、そこに潜り込むようにしたのだ(笑)。

おかげで、風邪も快方に向かいつつある。

それにしても、医療関係者が、「痰の吸引」のことを「痰を引く」というのは、実に納得できることがわかった。
訪看の看護師の助言で、吸引力を最大の半分程度に落とした。吸引力が強すぎると、痰を引く前に、喉や舌に貼り付いてしまうのだ。
その状態で喉に突っ込むと、痰にうまくあたると、微妙にチューブが震える。ここでそのままにするとまた粘膜を痛めるので、少しずつ引き出す。この時、急ぎすぎると、痰がちぎれて全部を吸い出せない。
そう、これは、「釣りの醍醐味」なのだ。アタリを待って、相手に合わせて、上手く引き上げる。うまくいったときは快感だ(笑)。
もっとも、私の喉は敏感らしく、かなりむせるし、涙も出るのだが、やらなきゃいけないことは楽しまなければ(笑)。

風邪
2005/11/16

風邪を引いていた。と言っても、インフルエンザのように本格的なものではない。熱もないと思う。体温計が2−3本は有るはずなのだが、首の前垂れのため、家の中でも「捜索」は不可能になっているため、熱を測ることも出来なかった。
鼻づまりと痰の増加のため、息苦しくなって目が覚めて、痰を吸引して、市販の風邪薬を飲んで、また寝るという繰り返し。1日に12時間以上寝ているのではないかと思う。

上着の脱ぎ着が困難になっており、特に重ね着は自分では不可能で、唯一、袖無しのベストのような物だけを重ね着している。しかも自分では布団が出せなくて、夏用の物を1枚しか掛けていなかった。
もっともパソコン4台のうち2−3台は常に電源が入っているため、暖房代わりにはなって、室温は20度をキープしているはずなのだが、昨日、冬用の掛け布団を出して貰って、今まで如何に寒い寝方をしていたかがよくわかった(笑)。
ただ、転んでもただでは起きない。痰が多くなったことで、これまでなかなか掴めなかった、吸引のコツが少し会得できたような気がする(笑)。

眠っている時間が多いと、夢を見る。
どうしても、夢の中には、喋っている自分が居る。しかし、突然気がつく。あれ? 喋ってる。治ったのか? そのことに気がつくと目が覚める。冷静というか、自分の中で折り合いが付いているはずの、「喋れないこと」への悔しさはあるようだ。当たり前のことだけど(笑)。

ところで、介護保険申請の認定結果が出た。要介護度3,ということだ、自己判定でも3だったので納得の結果だが、基本調査の独居による不利を考えると、主治医の先生の意見書の力が大きかったのかも知れない。
まだ、左手も、かろうじて手を添える程度のことは可能なので、胃瘻による食事の準備も自分で出来る。ケアマネと相談して、今月は、入浴介助を週2日にして貰った。もう自分ではほとんどシャワーによる洗髪も出来ず、腹部と陰部くらいしか洗えなくなっているからだ。それ以外には、買い物とゴミ出しを中心に、週2日入って貰うことにした。訪看の1日と合わせて、週5日は1時間〜1時間半ほど、誰かが来てくれることになる。時間も、夕方は調理介助で忙しいだろうから、その少し前に来て貰うことにした。要介護枠の限度額の1/3程度を使わせて貰うわけだ。

問題は、片手が使えなくなったときの、栄養液等の注入の手順などだ。
1日3回入って貰う枠はないから、そうなったら、1日2食にしようと思う。私が世話になっている事務所には胃瘻患者の経験のあるヘルパーが居ないようなので、どういう手順でお願いするか、マニュアル作りも完成させなければいけない。
幸い、イルリガートルの600mlタイプは購入したし、1200mlタイプも入手したので、2種類をローテーションを組めば、1日2食でなんとかなりそうだ。朝10時頃と、夕方にセットをして貰うつもりだ。問題は、酒をどうするかだが(笑)。
イルリガートルによる栄養液の注入や、内服薬の注入が医療行為でないという根拠の説明もしなければいけない。
原稿も書かなければいけないし、調べることもいっぱいある。

それらのほとんどが、この一週間、止まっていた。
風邪薬は、本当に頭が朦朧とする。
おかげで、久しぶりにゆっくり眠れたのだが。

恬淡と
2005/11/10

恥跡録も読みやすいようにPDF化の作業を続けているために、昔の作品を読み返している。15歳から17歳まで、中3から高2で高校中退までの作品がメインだが、自分でも驚くくらいに、「死」が通奏低音として全ての作品に、顕在的に潜在的に流れている。思い出してみれば、小学校低学年に、死への恐怖にうちふるえていた記憶もある。それが、こうして、作品として形を表しているのは、どこかでそれを乗り越えたのだろうか?
我ながら、嫌味なマセガキだと思わないでもないが(笑)

一説によると、「死」を概念として認識しはじめたのは、脳が発達した旧人以降で、類人猿のレベルでも死の認識はなく、だから、自分が何時か死ぬであろうという認識もなければ、そうであれば「死への恐怖」もないと言われている。その意味で、宗教の成立は、「死への恐怖」無くしてはあり得ない。

形有る物は必ず壊れ、生有る物は必ず死ぬ。太陽も惑星もいつかは新星として爆発するか矮星化して死を迎えるし、神々も信者が居なくなれば消滅する。

死への恐怖がないわけではない。もちろん、今でも、自分が無くなることを突き詰めれば震える。恐れなんか無いと強がる気もない。もしかすると、受容は、「諦め」なのかも知れない。
多分、失うことに慣れているのだ。53年間の生涯で、いろいろな物を失ってきた。「選択」とは、有る物を選ぶ代わりに、その他の物を失うことだ。可能性を求めるためには、その他かの可能性を閉ざすことにほかならない。

良い意味でも、悪い意味でも、ALSは死と向き合うことを余儀なくされる病気だ。突然の死ではなくて、成長と共に得てきた数々の身体機能を、緩慢に、しかし自らの予測に比べると急激に喪失していく。自分からはぎ取られていく機能を見つめ、一歩一歩、死へ近づく。
残念なことに、「閉ざされる可能性」を自分で選ぶことは出来ない。足が先にダメになっても良いから、指の機能は最後まで残って欲しいと願っても、それは無理な話だ。呼吸機能の喪失が一番後に回れば、手も足もダメになったまま、生きているしかないかも知れない。

この1年で、随分いろいろな物を捨ててきた。私が持っているからこそ意味のある物は、私が居なくなったら意味が無くなる。それどころか、遺族が見たら処理に困るような物も随分あった(笑)。軽く百人を超える10代の頃に貰ったラブレターの山に、捨てるのを手伝った息子は呆れていたようだ(笑)。
私が残す物と言えば、私を知っている人の中にある記憶しかない。それらの人が死んだら、記憶も喪われてしまう。
息子には、1万冊を超える蔵書と、3000本を超える映画のライブラリくらいは残せるが、それらをどう受け止めるかは、私の問題ではなく、息子の問題だ。

だとしたら、私の一生と、その生き様は、私だけの物でしかない。墓場まで持っていかなければならない「秘密」もいっぱいあるだろう。もっとも、私が知らないだけで、秘密を共有していた相手の方が先に死んでいるかも知れない。
自分でも、あまりに恬淡すぎるのかも知れないと思う。いや、恬淡というより、冷たすぎるのだろうか?

自分の死を考えるとき、涙することはない。でも、テレビや小説を読むと、以前にも増して、涙もろくなった。登場人物が不慮の死を遂げたときだけではない。復讐に成功したり、あるいは苦難を乗り越え、幸せになったときも涙するのだ。感情過多なのか、単なる涙腺の刺激なのか。「他人の不幸は蜜の味」という言葉は今の私には当てはまらない。他人が幸せになることが嬉しくて泣けるのだ。
ただ、泣くのは辛い。即物的で申し訳ないが、鼻が詰まるからだ(笑)。

もちろん、全てを捨てたわけではない。まだやりたいことがある。
ただ、時間はどんどん少なくなってきている。
その中で、取捨選択をせざるを得なく、捨てなければいけない物がどんどん増えているだけの話だ。

一つだけは、自分で自分を誉めさせてもらう。
それは、「来世」とか、「生まれ変わり」とか、「あの世」とか、宗教という名の逃げ道に、そよとも心が動かないことだ。
この傲慢さに、一人で祝杯をあげよう。あ、「祝チューブ」だ(笑)。

終わりの始まり
2005/11/09

覚悟していたことがある。
何回か書いたように、私は典型的な球麻痺先行タイプで、それも発語障害が真っ先に来た。ALSの診断が確定した段階で、全く喋れなくなっている患者は非常に少ないようだ。しかし、その分、当時は手足はまだしっかりしていて、首の前垂れは始まっていたが、歩くのも、ピアノを弾くのも出来た。
しかし、ALSの診断が確定した時点で、余命はおそらく平均値で3年という事と、手足が自由になるのは1年だろう、この2点が覚悟していたことだ。

喋れないことはもう諦めていたし、嚥下障害も近い将来は目に見えていた。ただ、手足の衰えは、当時は頭の中だけでの理解だったし、こんなにも早くなるとは思っていなかった。
7月の見納め旅行の段階でも、衰えは来ていたが、それはバランスの問題だと思っていたし、まだ実感としては把握できなかった。

しかし、ALSは、入口は異なっていても、出口は一緒で、最初の症状は別でも、全ての症状が揃ってくる。本格的に手足に来始めたな、と感じたのは、胃瘻造設で入院した後、独居生活へ戻って1週間しはじめた頃だ。

わずか一月半で、自分で出来る範囲が大幅に狭くなってきた。
左手で掴んでいた物をボロボロ落としてしまう。衣服の脱ぎ着も、着脱機の助けを借りないと出来なくなった。特に重ね着は、着脱機の助けを借りても不可能で、唯一、非常に滑りの良い袖無しの夏用のチョッキ状の物だけが重ね着可能だ。
力の入り具合は、体幹との角度で左右されるようだ。椅子に座って、机の上にある物を掴もうとしてもほとんど力が入らない。しかし、立ち上がって、そのものが、身体の斜め下に位置すれば、掴むことが出来る。要するに、胸より高い位置にある物に対しては無力になったわけだ。
頸椎カラーも、自分ではほとんど不可能になりつつある。
車の運転も、運転自体はともかく、シートベルトをつけたり、シフトチェンジするためには、座席の角度を変えなければ行けない。
手すりもなにもない場合の歩行は、数歩毎によろける。もちろん、細心の注意を払うことで、まだ転倒はしていないが。

自分での洗髪は諦めた。週に一度の入浴介助の時だけだ。幸い、寒くなってきたし、ほとんど閉じ籠もり生活だから、丸坊主にされなくても大丈夫だ(笑)。髪を洗わなくても死ぬことはない(笑)。
それでも、胃瘻の回りと陰部清拭のために、2日に1度はシャワーを浴びるが、寒さのため、全身を濡らすのは避けている。風邪が怖いのだ。
今朝は鼻づまりのため目が覚めて、急いで、鼻水の吸飲を行い、市販の風邪薬を注入した。少しでもおかしいと思えば、早めに対策を取らなければ行けない。おかげで、昼過ぎには正常に戻った。

昨日は、車検に車を出した、多分、自分でする最後の車検だろう。最後の運転も近い将来だが、病院へどうやっていくかという問題があるので、これは今しばらく頑張るしかない。
そう言えば、最後のロングドライブになったであろう、先日の旅行では、最後の交通違反をしてしまった(笑)。
もう10数年、ゴールド免許で無事故無違反だったのに、「通行帯違反」という聞いたことのない違反を取られた。これは3車線以上ある高速道路で2km以上も最右端の追い越し車線を走り続ける違反だそうだ。しらなかった。というより、深夜の東名神で、100km区域だと、左の2車線は80km制限の大型トラックが占拠していて、入り込めないではないか(笑)。
喋れたら抗議してたかもしれないが、最後の違反になるかと思うと、なにやら記念になるような気もして、大人しく違反切符にサインし、後日6000円也を払い込んだ。
この時期のALS患者の高速道路での違反というのも、めったにないだろう(笑)。

今日は、ヘルパーさんに、薬の注入をしているところを写真にとって貰った。
胃瘻による、栄養液や薬注入の手順を、マニュアル化するためだ。
手が動かなくなってからでは遅いし、ヘルパーに憶えて貰うためだけではなく、もし高知へ帰ったら、胃瘻での注入なんて見たこともない家族にお願いするかも知れないのだ。

多分私にとっての、ALS第一期は終わろうとしている。
いよいよ、介護に頼り、生かせて貰う、最後の道への、「終わりの始まり」気が目前に来ていると思うからだ。
冬ごもりのための準備をしなければいけない。

距離感
2005/11/04

私には、ひとり暮らしが向いているとつくづく思う。介護され、見知らぬ人の世話になりはじめて、その理由がわかった。

当たり前の話だが、始めてきたヘルパーが、私流のやり方を期待通りできるはずがない。まずいことに、私は家事のほとんど、自分で出来る上に、それなりに下手な方ではない(笑)。熟年離婚されると生活が出来なくなる男性が多いと言われるが、私の場合はその心配もなかった。私流のやり方に、特に拘るわけではないが、やはりそれなりに評価をしてしまう。しかし、大丈夫かな? とは思っても、腹が立つまではない。期待をしていないから、怒りもしない。意図が通じなくても、そんなもんだなと思う。

もし、彼女が居て、介護してくれていたら、意志が通じないとイライラしたのかも知れない。息子との些細なトラブルも、家族だからという期待があったのかも知れない。

基本は、距離感なのだ。

家族は、ある意味で、強制的近距離人なのかもしれない。だから、物理的に遠距離にいる方が、気楽なのだ。
介護をしてくれる人は、物理的に近距離にいても、基本的には遠距離の人だ。
もし、彼女が出来たら、一緒にいるときだけ近距離で、部屋を出て行けば遠距離だろう。

そう考えると、若い頃の私の恋愛が長続きしなかったわけが見えてきたような気がする。つまり、近距離と遠距離のバランスが崩れ、一緒にいないときまで、超えて欲しくないラインを踏み越えられると、ウザクなっていたのかもしれない。一緒にいる時間は、いくら超えても良いが、それ以外は距離を置いて欲しかったのだ。
若い頃から、理想は、惚れた女と、同じマンションの別の階の部屋に、別々に暮らしたいと公言していた(笑)。

「自分だけの時間が欲しい」というのとはちょっと違う。時間軸の中で、べったりとされるのがいやなのだ。有る時間は、どんなに近づいても良い。でも離れた時間も欲しいのだ。

恋愛だけではない、おそらく私が、ALSによる死期をあっさり受け入れたのも、同じ理由かも知れない。

「私の人生」すらも、私にとっては、距離感を置いて見ていたのだ。自分に密着できない自分、どこかで自分を突き放してみている自分が居る。それが「ライター魂」だとしたら、寂しい気もしないでもないが(笑)。

力がほとんど入らなくなった左手でも、まだキーボードは打てるし、「手を添える」という役割が果たせる間は、まだ片手ではない。それがどのようになるのか、どのように感じるのか、距離を置いて見つめようと思う。

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