極私的土佐日記 あらため  極私的ALS日記

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プチ遭難
2005/11/03

最近、ベッドでの睡眠ポジションが決まらないことと、寝返りの激痛で、3時か4時には一度起きることが多いのだが、今日は、恐れていたプチ遭難で目覚めてしまった。

工夫椅子に限界が来て、介護認定の見切り発車と同時に、電動ベッドとヘッドレスト付き車椅子をレンタルで借りているのだが、自走用と介護用の2台持ってきた車椅子のサンプルのうち、多機能でヘッドレストの位置の自由度が高い介護用に決めたのだが、こちらには一つ問題があり、椅子を固定するストッパーを座ったままの姿勢では使えないのだ。
机の前に座るときは、斜めに進入して、最後に横に振り、前輪を真横にむけることで簡易ストッパーにしていたのだが、今日は不覚にも、椅子でうたた寝をしてしまった。

ヤバイ、と目覚めたときは、椅子はうしろに走り始め、私の腰は、椅子から落ち始めている。両手とも、それを止める力も角度もない。それでも、頭も打たず、軟着陸したが、いつもは、なんとか上体を起こした形で床に落ちるのだが、今回は初めて、仰向けに、寝たままの形だ。

遠くに時計が見える。2時半だ。
何とか姿勢を変えようとするが、いつも姿勢を変えるときに使う足の支点とする物が何もない。メインテーブルの脚は、車椅子に合わせて高くするための下駄を履かせているので、強い力に耐え切れそうもないのだ。それでも、眠るための姿勢、右を下にした形にはなれた。
まいった。
幸い、明日は入浴介助で15時にはヘルパーが来る。12時間寝てればなんとかなる。大便は幸い便秘期に入っているし、小水はその時のことだと居直って、少し、体力温存をはかる事にしたら、あらら、図太いことに1時間ほど眠っていた(笑)

さて、再チャレンジだ。
視野が限られているので、見えないが、この姿勢なら、あと1m移動させれば、パソコンが3台乗ったがっしりしたテーブルの脚がある。
少し、腕の力も戻ってきている。
右手で自分の頭をつかみながら俯せになり、手を突いて起きようとするが、無理だ。やはり足技に頼るしかない。
日本古式泳法の横泳ぎの秘技(笑)で、下半身をパソコンテーブルに近づける。この間15分。
足と身体と手とテーブルの位置を、頭の中にシミュレートする。
左足を突っ張りながら、右足をテーブルの足に巻き付けて、脊髄から体幹に力を入れることで、電動ベッド導入前の起き方のパターンの変形に持ち込めそうだ。
念入りに5分ほど掛けてポジション決めをして、いよいよ実行。ゆっくりと身体と床の間に手を入れるペースが出来た。やった。
床の上の仮眠後から25分、無事上体が起きた。ここからは何とかなる。
現世に復帰したわけだ。


急いで、ストッパー代わりの物を考えなければいけないし、もしもに備えて、起きあがるための「足巻き付けポイント」も考えなければいけない。

福祉用具が揃ってきているが、やはり基本は身体だ。

そう言えば、私は足が長いので(笑)、健常の時はなんでもなかった便器の高さが、低すぎて、介護事務所から、ウォシュレット付き電動高さ調節便座という物を推挙されて、昨日、下調べに来た。
しかし、ネットで調べるとどうもおかしい、「ウォシュレット用」と書いてあるのだ。担当者に確認したら、担当者が上に電話をして、やはりこの商品はウォシュレットを組み込むことができると言うだけでウォシュレットは付いていないことが判明(笑)。
大手事務所は、品揃えがあっても、実際に扱ったことの経験がない商品が多いようで、勘違いが多いようだ。
もっともさすが大手で、「補高便座つきウォシュレット」というのもあるみたいなので、導入できるかも知れない。
しかし、最新鋭の福祉用具に囲まれて遭難というのも哀しい。この状態だと、最低でも一日1回、可能なら2回は来て貰えるようなケアプランを考えた方が安全だ。介護認定がどうでるかによって、今月末から来月にかけては支援費制度とも闘わないと行けない。
遭難何かしている暇がないのだ(笑)。

4ヶ月
2005/11/01

診断が確定して、丸9ヶ月が過ぎた。
ほぼ、言葉を失って、喋ることを諦めてからも1年たつ。
球麻痺先行だから、手足の衰弱にはもう少し余裕があると思っていたが、甘かったようだ。
3ヶ月前には、九州を旅行していたことを考えると、この3ヶ月の症状の進行に愕然とする。ただ、同時に、反対や心配を押し切って、旅行を強行して、心から良かったと思う。今の時点では、とてもではないが、あんな旅行は出来ない。

やれるときにやる、当たり前のことだ。
人生に於いても、逡巡はある。失敗を恐れたら、前への一歩は踏み出せない。でも、やって後悔するよりも、やらないことを後悔する方が辛い、と思い続けてきたし、見る前に跳び、跳びながら考えてきていた。
もっとも、完全な向こう見ずだったというわけではないと思う。何かをしようと思ったら、その準備をしながら、いろいろ調べると同時に「公言」してしまう。言ったことは守る、というスタンスだから、公言した以上、実行するしかない。自分で自分のケツを蹴飛ばしていたようだ(笑)。
知に溺れないこと、情報に毒されないこと、しかし、最初の「意」を守りながらも、それに拘らず新しい情報は取り入れよう、というのが私のスタイルのようだ。

旅行の時も、おおまかな方向を決めて、それを公言する。そして、ルートを決定し、そのためにいろいろな情報を集める。そして予定通り出発する。しかし、「行く予定の場所」へ行くかどうかは、天候や状況で柔軟に変更する。このあたりは「47旅日記」で何回も書いてきた。
現場に立たないとわからないこと、机上ではわからないことはいっぱいあるし、間違った情報は素直に訂正すべきだし、そのことに私は全く抵抗がない。

さて、問題は、症状の進行だ。

当初の予定では、手か足がダメになったら、埼玉での独居を、潔く諦めようと思っていた。
しかし、幾つか他の要因が出てきた。
一つは、高次脳機能障害のある母の前に、中途半端に私の姿を見せると、母の心を壊してしまう可能性があるという危惧が出てきたことだ。母は、父の死を未だに認識していないし、自分の弟が早くして死んだことが大きなトラウマになっていて、息子が自分より早く逝くということは耐えきれないかも知れない。だから母には私の病気のことは未だに伏せている。
母は、私が父の血を引いて、二人とも勝手に家を飛び出して、我が儘三昧な生活を送っていると思っているらしい(笑)。
もう一つは、息子の勉学の問題だ。
この2点を考えると、早くても来年の2月一杯までは埼玉に居ようと思う。

さいわい、胃瘻と介護のおかげで、一切部屋を出なくても、何とか生きて行けそうだ。
問題は、左手が使えなくなったときだ。
栄養液や、薬の注入方法の工夫は、両手が使えることが前提になっている。
それを、片手でも出来るように少しずつ練習している。
トイレも、ケアマネの助言により、福祉用具購入補助で、乾燥機能付きウォシュレットが購入できそうなので(工事費など自己負担は結構あるが・・・)、少なくとも、自分のケツは、しばらくの間、自分で拭けそうだ(笑)。

全介護になれば、栄養液も1日2回にしようと思う。介護の人が入る回数を少なくしなければいけないと思うからだ。

ただ、この3ヶ月間での進行を、次の4ヶ月に当てはめると、少々悩ましいことは事実だ。
2月末まで、あと4ヶ月。なんとか右手が、そして可能ならば、一部でも良いから左手の一部機能も残って欲しい。
そして、なによりも、呼吸も持って欲しい・
この4ヶ月にやりたいことはいっぱいあるからだ。

ただ、こればかりは、予測が付かないし、予定の立てようもない。
ただ、粛々と事態の推移を冷静に観察しながら、出来る限りのことをやるまでだ。
4ヶ月後に、何ができあがっているか、4ヶ月間をどうやって過ごすか、そして4ヶ月後の自分がどうなっているのか、楽しみだ(笑)。

介護者の方へ
2005/10/31

あれだけ何度も、「わかって貰おうとする努力も必要だ」と自分で書いていたにもかかわらず、どうも私の中にも「介護される側の甘え」があったようだ。
というのも、先日、敬愛する友人で、介護のプロから、「介護保険制度は元々高齢者介護が目的で、特に介護保険発足以前からのベテランヘルパーは障害者介護の経験が少ないし、現行のヘルパー養成の教科書に障害者についての記述は少ない上に、授業時間が少ないこともあり、その部分を飛ばしているケースも多い」という助言を貰ったことで、そのことに気が付いたのだ。
また、私が入院していた病院の看護師さんからも、普通板の論争を見て、「ALSのことは普通の人は知らないのではないか」というメールも頂いた。
たしかに、ALS患者は人口10万人当たり5人程度と、非常に少ない上に、多くの患者は寝たきりの全介護で、私のように、中途半端に動こうとする生意気な患者は、超少数派だろう(笑)。
手足の麻痺や拘縮はALS以外にも少なくないだろうが、特に首の完全前垂れによる不自由さは、わかれと言ってもわかるはずはないだろう。
介護度認定の基本調査がどう考えても、納得しがたいのも、ある意味当然で、知性も含めた加齢による機能喪失が対象であり、ALSのような患者に当てはまるわけがないのだ。

とすれば、「よりよい介護を受けたいALS患者」としては、「何が不自由で、何が辛いか」、「どういうやり方をして欲しいか」を介護者に対して明示する努力、つまり、「わかって貰おうとする努力」をしなければいけない、そしてそれが私には不足していた、と反省した次第だ。

今一度、日常生活における自分の身体状況をチェックし、介護者へ向けた自己紹介としてみる。

・首
通常の状態では、首を真っ直ぐ立てていることは不可能で、前に90度折れ曲がっている。この状態では、喉にも圧迫感があり、むせるため、下を向いての作業はほぼ不可能。
ただし、腹を思い切り前へ突き出し、手で首を持ちあげ、うしろに持たせかかる姿勢でなら、首を上げた状態にすることは不可能ではない。
また、キーボードを打てるのも、椅子に浅く腰掛け、体幹を床に対して30度くらいの角度をすることにより、首が体幹に対して90度前垂れしていても、床に対しては60度程度になるためだ。
首や肩の凝りは著しい。
・視野
普段は、床の足もと半径50cm程度しか見えず、上記のような座り方により、かろうじて水平の高さまでは見ることは出来るが、非常に視野は狭く、「部屋の中で捜し物」をすることは幸運に頼るしかない(笑)。
したがって、部屋の片付けや整理は、必要なものは「いつもの場所」にないと、無くなったと同じ事になる。
・手
肩関節と肘関節の拘縮により、可動範囲は非常に狭く、水平に手を伸ばすことは、何かに触りながらでないと不可能で、それ以上の角度は不可能。このため、車のうしろのトランクは、傘を使わないと閉められない(笑)。
左右の可動範囲も狭く、右手を左手に回すだけでも痛みを感じる。
上着を着るときも、両手を下にして袖を通し、その後で服を持ちあげるような動作でないと着ることができない。
・指
力は極度に弱まっており、左手はもちろん、右手ですらもペットボトルの蓋も、普通では開けることが出来ない。ただし、補助具によってかろうじて可能。
保持できずに、床に良く物を落としている。
・足
かろうじて歩けるが、最近は数歩でよろけるし、床が平面でないと危険。階段の上下では、膝関節が震えるし、手すりを持つか、片腕を壁にこすりつけている。
ただし、注意すれば、跨いで浴槽に入る程度には上げることが可能。肘を持ってくれるだけでも随分違う。
・抱き起こし、抱え上げ等
通常の介護では、首を抱き抱えるようだが、それでは首がのけぞるようになり危険。むしろ、頭を持って、首の角度に留意しながらして貰わないと強い痛みが来る。
寝返り等の介助も、体幹は無視して良いから、首の回転を留意して貰わないと激痛が走る。
新生児の赤ちゃんの首を想定して貰うとわかりやすいので、女性のヘルパーの方が理解できるかもしれない。
・コミュニケーション
喋れない上に、痰などもあり、また、力を入れると「ううう」と無意味な声が出てしまう。
幸い、まだパソコンが使えるので、基本的にはパソコンか筆談をつかうが、浴槽内など、それらが使えない場合は、手のひらにカタカナを書くので、一文字書く毎に、それを声に出して読むことで確認して欲しい。
なお、無意味な「ううう」が多いので、この発声は無視して欲しい。用があるときは机を叩くなどのクラップ音を使う。また、頷くのが首の関係で辛いので、右手のOKサインが「yes、うん、はい」、手のひらヒラヒラが「no、いや、いいえ」として欲しい。
・指示と確認
全介護になり、動けなくなれば、介護者の都合の良いように、いろいろな物を置いても良いが、現時点では、週のうち4日、各1時間程度以外は、自分ですべてやらなければいけないので、物の整理など移動は、必ず私の確認を取って欲しい。前述のように「いつもの場所にないもの」を探すことは不可能だから。
置く場所は、床より少し高くて、テーブルの高さが上限。また台所の洗剤など、シンクの奥に置かれると、私が使おうとするときには大変な苦労。ガスのスイッチなども、切られると、私が使おうとしてスイッチを入れるためには、よろけながら椅子を使わないといけないので切らないで欲しい。
基本的に私が一人の時に、手を動かせる範囲、とくにその高さを考慮していただくと有りがたい。

こまかな点は、個々のマニュアルを作っていくが、要全介護よりも、ずっと厄介な被介護者であることを留意していただけると有りがたい次第である。

どこからが医療行為?
2005/10/30

役人というのは困ったもんで、責任逃れのためのくどい言い回しには長けていても、わかりやすく整理するのは下手のようだ。
医療行為について厚生労働省のデータベースを調べても、なかなか見つからない。
例えば、ALS患者の家族以外の痰吸引を渋々認めた通知は、「ALS(筋萎縮性側索硬化症)患者の在宅療養の支援について(医政発第0717001号)」だが、「医政総発第0717001号」というのが別にあって、それは「広告が可能な医師及び歯科医師の専門性に関する資格名等について」という通知で、前者が平成15年7月17日、後者が14年7月17日に出されたものだ。
7桁もの数字を使うのなら、一意の数字にするか、せめて「年」を入れろよな・・・。

それはともかく、3ヶ月前に、「患者の家族以外でも、こんなことはやっても良いよ、医療行為ではないよ」という通知が、「医師法第17条、歯科医師法第17条及び保健師助産師看護師法第31条の解釈について(平成17年7月26日医政発第0726005号通知)」として出された。
もちろん、厚生労働省のデータベースには載ってない(笑)。
幸い岐阜県が、受けとった通知をアップしていた。
http://www.pref.gifu.lg.jp/pref/s22807/infomation/170726.pdf

相変わらず、限定条件と責任逃れのオンパレードだが(笑)
・体温測定
・自動血圧測定器による血圧測定(聴診器は使うなと言うことだな(笑))
・新生児以外でかつ入院が必要でない者へのパルスオキシメータの装着
・専門的知識や技術が不要な、切り傷擦り傷火傷の処置
   (つまり、バンソコウを貼る程度?(笑) 
    なんと汚れたガーゼも取り替えて良いらしい(笑))
・異常がない爪の爪切り
・重度の歯周病のない口腔の歯磨き等の口腔衛生
・耳垢塞栓以外の耳垢取り
・肌に接着したもの以外のストマ装具のパウチから排泄物を捨てること
・自己導尿補助のためのカテーテル準備や体位保持
・市販ディスポーザブル浣腸器による浣腸
は、ヘルパーがやっても医療行為ではないと認められた。

薬の服用については、前提条件がすざましい。
・患者が入院する必要がないほど、容態が安定していて、副作用の危険や用量を変えるため医師等が経過観察をする必要が無くて、誤嚥などの心配がないという3条件を満たしていることを医師や看護師が確認して、「医師や看護師でなくても飲んで良いですよ」と本人もしくは家族に伝えて、しかも、本人もしくは家族が具体的に「ヘルパーさん、飲ませてよ」と依頼をしていること   <要約してもこれだもんなぁ・・・
・患者ごとに区分した医薬品であること(在宅患者に区分しない医薬品を渡すか?)
・医師の処方や薬剤師の服薬指導、あるいは看護職員の保健指導・助言を遵守すること(つまり、食後に飲めとか、食前に飲めと言うことを守れと言うこと(笑))

これらの条件の下に
・内用薬の内服(舌下錠 含む)
・皮膚に軟膏を塗ること
・皮膚に湿布を貼ること
・目薬の点眼
・点鼻薬の鼻への噴霧
・肛門からの座薬挿入
をしても良いと言うことだ。


痰の吸引の方が、技術的にはずっと難しいが、これらのことが、今まで医療行為とされていてヘルパーに許されていなかった方が不思議だが、私には重要な項目が抜けている。

それは、胃瘻造設による栄養液や薬の注入の何処までが医療行為かと言うことだ。

まだ指が動くから良いが、近い将来、片手が使えなくなっただけでも、自分では何も出来なくなる。もし、胃瘻からの注入が医療行為で、看護師以外には扱えなくなることになると、これは大変なことになる。

もっとも、これについては明確な決まりはないようで、介護事務所によって対応はマチマチのようだ。
というのも、厚生労働省は、イルリガートルを医療用具認定はしていても、「食器」の扱いにしたがっているようだ。なぜなら、イルリガートル等は保険の対象外にしているからだ。食器なら、それを洗ったり、食材を盛りつける(つまり、イルリガートルに栄養液を入れる(笑))ことは医療行為ではないはずで、シリンジやカテーテルチップも、湯飲み茶碗なら内服の一種と言うことになる。
問題は、イルリガートルチューブや、シリンジを胃瘻チューブに接続することだろうが、これも、胃瘻チューブは胃瘻孔ではなく、そこに接続された単なる器具だから、接続しても問題がないというのが私の解釈だ。
第一、肛門に座薬を突っ込むのに比べたら、ずっと「非専門的」ではないか(笑)
また、ストマのパウチの中身を捨てても良いのだから、その逆も良いはずだ!<しかし、比較対象がちょっと汚いなぁ(笑)

ただ、念のため
( 1)注入用の器具(というか食器ですね)であるイルリガートルの、使用後に洗ったりすること
( 2)注入のために、医薬品として処方されて居る栄養液をイルリガートルにセットすること
( 3)注入のために、水や野菜ジュースをイルリガートルにセットすること
( 4)イルリガートルチューブを胃瘻チューブに接続すること
( 5)クレンメを患者の指示により操作して注入速度を変更すること
( 6)処方された内服薬を注入用シリンジにセットすること
( 7)セットされたシリンジから、注入すること
以上のうち、どれが医療行為に当たり、家族以外のヘルパーなどがしてはいけない行為に当たるのか
と言うことを厚生労働省に問い合わせて1月を過ぎるが未だに返事がない。

カマグの注入と 運転の話
2005/10/29

今はどうか知らないが、昔の土佐の酒場は面白かった。偶然隣り合わせた飲み人が、話の流れで大論争になるのだ。それも、老若男女、職業関係なく、また外野からの参入有り、その上、かなり乱暴な言葉遣いでもある土佐弁が行き交うわけだから、他県人が知らずに入ってくると、喧嘩と間違われるが、暴力沙汰になることはほとんど無く、また、遺恨も残らないもほんとの「論争」が日々行われていたのだ。

と、枕をふったのは、しばらく日記がストップしていた言い訳にしか過ぎない(笑)。

今、幾つか大きなテーマを考えているので、そのための勉強が忙しいのが一つ、また厚生労働省からの返事待ち(一ヶ月を超えたのにまだ返事がない・・・)等、もう少し時間がかかりそうなので、小ネタをいくつか報告する。


■酸化マグネシウム(通称カマグ)の注入方法
胃瘻造設をして栄養液生活に入ると、下痢や便秘になりやすくなることもあり、胃酸の中和と便秘を防ぐためにカマグが処方されることが多い。
ところが、このカマグ、実に溶けづらい。というか全く溶けない。顆粒状のままで、お湯を使っても、いくら良く振っても溶けない。
以前報告したように、他のミネラルサプリの注入問題もあったので、一時は、カマグをミネラルサプリと一緒に野菜ジュースに混入して、イルリガートルから注入するという方法も使ったが、サプリを服用するのは1日1−2回なので、それ以外は、やはりシリンジを使うしかない。しかし、最近、溶けなくても上手く注入するこつを掴んだ。カマグに限らず溶けないものの注入には使えるだろう。

以下、注射器(シリンジ)の各部分の正式な名称がわからないので、注射針をセットする、注射器から液体を出す突き出た穴のある小さな筒の部分を「注出口」、またそこがある部分を「前側」と表現する。

方法は、他の薬やカマグを入れた後良く振って、まず筒を水平に近い形(注出口を上側にして真横にするわけだ)で、胃瘻チューブの差し込み口まで持っていく。この時、溶けないカマグは、外筒の注出口の反対側の下になった部分に沈殿している。
胃瘻チューブの注入口に、シリンジを前側を下にして斜めに接続します。この時注出口は、斜め上にあるので、カマグは、前側の、注出口の反対側の角に沈殿する。
この状態で、ゆっくり注入を開始しながら、注射筒の角度はそのままで注射筒を回す。つまり、沈殿したカマグの方に注出口を持っていくという感じだ。そうすると少しずつカマグが注出口に入っていく。
ただし注出口をずっとカマグの沈殿のある部分に置いたままにすると、カマグが入りすぎて詰まることもあるので、微妙に、接続角度を変え、また注射筒を回しながら、カマグが注出口に少しずつ入るように誘導する。
カマグが少なくなると、注射筒を、ほぼ垂直に立て最後のカマグを注出口に入るようにする。

言葉で書くと、非常に面倒で、高度な技のように見えるが、やってみると意外に簡単、カテーテルチップのように注出口が大きいものを使うと、もっと簡単だろうし、患者本人がやっても出来たのだから、家族ならもっと簡単だろう。


■ゴムひもネックレスの注意
一つは、頸椎カラーを使用する人は、その形状によっては、ゴムひもネックレスで保持された位置とカラーがぶつかるケースがあるので注意。
また、イルリガートルチューブに比べると、胃瘻チューブは軟らかいので、注入時に折れ曲がることもあるので、注入時は、ゴムひもの保持点をイルリガートルチューブ側に移動することにしている。


■そろそろ運転も
久しぶりにガソリンを入れようと、行きつけのガソリンスタンドへ行った。会員価格で、普通のスタンドよりも4円安いからだ。しかし、何もせずに帰って、昔使っていた普通のガソリンスタンドへ行った。
両手を使っても、ガソリンタンクのキャップを開けられなくなっていたからだ(笑)。
帰宅して、両手の指を力一杯、伸ばしてみた。右手は問題ないが、左手の親指と人差し指は指の関節部分が、どう力を入れても真っ直ぐにならない。
まあ、今後は、必要不可欠、最小限しか車には乗らないし、運転封印も近いからしょうがないか。
なにしろ、車に乗ると、3つのシート位置を使い分けなければならない。
まず、シートベルトを締めるためには、シートをうしろに倒さないと、シートベルトを掴めない。関節の拘縮のため、手が届かないのだ。
次に、私の車はコラムシフトのため、パーキングからシフトを変えたり、バックにしたりするためには、シートを思いっきり前に倒さないといけない。これは、拘縮と力の弱りの両方が原因だ。
そして運転するためのポジションはまた別だ。
私の車を見たら、避けた方が安全だ(笑)。

手探りの被介護者生活
2005/10/23

月に7時間という短時間だが、支援費制度による家事支援が始まると同時に、介護認定をしたことにより、おそらく認定され、最悪でも要支援になるだろうというケアマネの判断で、入浴介助もスタートした。
いよいよ、被介護者としての生活が始まったわけだ。

独居である以上、当然、最低限のことをやらなければ、飢え死を含めて、生きていけないので、「やっていけないことはない」のだが、強がりを言う気もないので正直に言うと、たしかに独居はそろそろ限界寸前だ。
掃除は基本的に放棄したし、洗濯はなんとかできるが、畳むのは諦めていた。風呂も、3ヶ月以上、シャワーだけで、背中を洗うことも拭くことも諦めている。風呂上がりは、裸のまま部屋に戻り、バスタオルを敷いた椅子にもたれることで、後は自然乾燥待ちだ。
洗顔、歯磨きはもちろん、介護認定の基本調査で「整髪」という単語が含まれていたのにビックリしたほど、そんなものはとっくに放棄している。
野菜ジュースのパックを開けるためには、ハサミとマイナスドライバーは必需品だし、プルトップなどマイナスドライバー無しでは開けられない。わが家では、マイナスドライバーは台所用品なのだ。
手の力も弱り、普通のズボンははけないので、トレーナーのようなゴムひものルーズなズボンをはいているが、ゴムの力が強いと、上まで上げられずにハンケツのまま過ごす時間も多い(笑)。
ゴミ捨てに階段を下りるときも、最近では、両手にゴミ袋を持っていると、数回はよろけて、「壁に肘を擦りつけながら下りる」という安全対策のおかけで転倒を免れている。
今日も、家事支援の人が来てくれたのだが、なぜかゴミ袋のうちの一つを玄関に置き忘れていたので、自分で出してきたが、やはりかなりヤバくなっている。


しかし、被介護者としての新しい苦労も多いことがわかった。

契約したケア事務所は、どうも老人介護しか経験がないような気がする。
私の身体が、痩せたとは言え、大柄なせいか、家事支援のヘルパーも入浴介護のヘルパーも男性で、最初だからと言うことでサ責(サービス提供責任者)の若い男性も同行してくれた。
入浴介助は若い男性で、息子より少し年上程度の人なので、昨年まで息子と一緒によく風呂に入っていたこともあり、裸になるのに抵抗はなかったのはよいのだが、やはり、ヘルパーもサ責も、唖者の介護は経験がないようだ。
風呂場で伝えたいことが生じたが、当然、パソコンもメモ帳もない。仕方がないので、手のひらに文字を書こうとしたが、その文字を読もうとする以前に、「手のひらに文字を書いて伝えよう」とする行為自体がわからないようで、お互いに困惑するばかりだ。

この点は、胃瘻造設で入院していた病院の看護師さん達はさすがに慣れていた。
手のひらに文字を書いてのコミュニケーションの鉄則は、二つあるようだ。
ひとつは、「カタカナ」を使うこと。これは、カタカナが直線が多いのでわかりやすいという点だ。
もう一つは、読み取る側が「一文字ずつ声に出す」ことだ。声に出さないと、読み取ってくれない文字が出てきたとき、どこからやり直せばよいかわからないからだ。
そして、この基本以外に、「推測による先読み」は、よほど頭の良い人以外はやめた方が良い(笑)。推測が当たっていればいいが、「頭の良くない人の推測」は「思い込み」が激しい傾向にあるようで(笑)、訂正が大変だし、何回も間違われると、止めたくなる。
まあ、長く付き合えば、わかるようになるのかも知れないが、「頭の良さ」「空気を読むことの上手さ」は歴然と現れると思う。

独居の最大の利点は、喋れなくなった私にとって、「意志を伝える必要がない」という点だったことがよくわかった。
介護されると言うことは、「どのような介護をされたいか」ということを、ヘルパーに伝えなければいけない。そして、その点は、喋れなくなって日の浅い私には、まだ上手ではないのだ。
先月から始まっていた週一の訪問看護は、胃瘻のチェックや、体温、血圧測定などと、目的がはっきりしているため、それほどコミュニケーションが取れないことに対するイライラはなかった。

元々、私は、気が短い方かも知れない。喋れる当時から、説明してわかって貰えないと、「もう良い」とすぐ諦めていたし、して貰うよりも自分でする方が楽、というタイプだった。恋愛での「別れっぷりの潔さ」もそのせいかもしれない。誤解されたらそれでも良いし、去る者は決して追わないのだ(笑)。

ある意味で、介護する側にとっては、かなり厄介な被介護者かも知れないが、そうは言ってられない。左手が使えなくなれば、快適な胃瘻生活も、一人では不可能になり、それほど遠い将来ではない、全介護、介護度5になれば、介護無しでは死ぬしかないからだ。まあ、介護されても死ぬときには死ぬが(笑)・

ある、ALS関係者の掲示板で、「ヘルパーを育てる」という書き込みがあった。患者が望むような介護をして貰うためには、ヘルパーを育てる意識がないと大変だという意味らしいが、実感として理解した。

聞けば、ヘルパーの世界も入れ替わりが激しいらしい。目的意識を持つ、本気で介護を天職として志す人もいれば、パート感覚でヘルパーの資格を取る人も多いらしい。しかも労働条件や人間関係、そして制度の変更などで、辞めていく人も多いという。せっかく慣れたヘルパーが何時居なくなるかわからない。

幸い、私には「文章を書く」という才能があるようだ。
とすれば、方法は一つしかない。「何をして欲しいか」をマニュアル化して、相手に渡すのだ。入浴介助の初日、入浴後すぐに「現時点での私の入浴介助方法」のマニュアルを目の前で書いて渡した。

介護する人も大変なのだろうが、される側も大変だと言うことがよくわかった。

シリンジの保たせ方と粉砕サプリの注入法
2005/10/22

大失敗をしてしまった。

最近は、焼酎以外の酒を飲み干すため、夜の栄養液の注入の後で、野菜ジュースに酒を混入して飲んでいる。酸性度の問題で、ワインやブランデー、日本酒を栄養液に混入すると、蛋白凝固するが、野菜ジュースならその問題がないからだ。
ところが、野菜ジュースのパックは、それが純粋な物ほど、粘度が高く、また、野菜の原形を少しとどめている部分があるのか、一定の速度では落ちてくれない。アルコールを混ぜても、それは同じで、ぽたぽたと落ちていてもしばらくすると止まってしまい、クレンメを緩めると、スーッと落ちて、またしばらくすると止まる、と言う繰り返しだ。
しかし、考えてみると、酒を飲むときと同じではないか。少しずつそして休み無く酒を飲み続けることは少なく、グビっと飲んで、しばらくして、またグビっと飲む。つまり、クレンメを緩めたり締めたりして注入する方が、経口で飲むときのパターンに近いと考え、ずっとこのやり方をしていた。
ところが昨夜、クレンメを緩めすぎたのか、他の条件が重なったのか、酒入り野菜ジュースを飲み始めて、他のことをしていて、5分少したって、そろそろクレンメをまた緩めようと思って、イルリガートルを見たら、空っぽ! つまり、260ccの焼酎の入った野菜ジュースを5分少々で一気飲みしてしまったのだ(笑)。身体が熱くなり汗が噴き出す。しかし、幸い電動ベッド導入で、机のすぐ側にベッドがあるので、いつでも寝られる、と思い、風に当たっていたら、たいしたこともなく、酔いは収まってきた。まだまだ酒には強いようだ(笑)。

■粉砕サプリの飲み方
サプリの粉砕はうまくいったが、その注入方法でいろいろ試行錯誤した。サプリの量が少ないと悩みも少ないのだろうが、在庫がまだあるのでかなりの量を飲んでいる。また、栄養液では下痢か便秘になりやすいが、私の場合は便秘になることが多く、漢方の便秘薬を飲むのだが、これも溶けない上に量が多い。20mlのシリンジではとてもじゃないが使えない。
栄養液を固定化するときにも使える物を考えていて、その道具をサプリ注入に使えないかと工夫しているのだが、これは、今ひとつ未完成なので、課題として残しておく。
暫定的だが、粉砕したサプリや便秘薬の注入方法が、野菜ジュースに混入して、イルリガートル経由で注入するという方法だ。
サプリの中のミネラル系は、カマグと同じく溶けづらい。まして野菜ジュースには溶けないが、それで問題がない。つまり、溶かすのではなくて混ぜ込むのだ。
野菜ジュース200〜300ccをイルリガートルに入れて、そこに粉砕したサプリ、植物繊維の粉などを入れて、スプーンで丹念にかき回す。どうしても「ダマ」になった分が上に浮いてくるが、これは詰まりの原因になるので、捨てる。注入の直前までかきまぜて、すぐに注入を開始する。かき混ぜた後、時間を置くと、ミネラルなど重い成分が下に沈殿し、これも詰まりの原因になるからだ。
注入速度はかなり早めにする。野菜ジュースの200t程度なら一気飲みすることもあるだろうと思うと、ゆっくり注入する必要はないと思うからだ(もちろん、年齢など人によっては問題が生じることもあるだろうが)。
現時点では、これで、サプリの飲み方としておく。

■シリンジを長く使う方法
訪問看護センターの好意で、医療機器販売の業者を紹介して貰い、ここから補助が出た吸引器も購入したが、シリンジやイルリガートルも購入できることになった。シリンジは今までのルート(科学教材の店)よりも安く、20mlで1本60円弱(病院への納入価格は大量であることもあり、比較にならないほど安いはずだ)だが、やはり出費は抑えたいので、シリンジを長保ちさせる方法を模索した。
メーカーに問い合わせもしたし、ネットで「オリーブオイルを塗ればよい」という情報も見つけたが、なかなかうまくいかなかった。

あるメーカーの関係者から教えて貰ったことだが、ディスポーザブルシリンジは、「一回で使い捨てることを前提に、厚生労働省から認定を受けた医療用具だから何回も使うことは前提としていない」ということで、これは栄養液の時もそうだが、官僚という者は本当に融通が利かない(笑)。
で、そういう事情なので、あくまで推測だが、ということで、「元々、シリンジの内筒のゴムの部分には、薄く潤滑剤が塗布されているので、何回か使ううちに、この潤滑剤が剥がれて、滑りが悪くなり、重くなるのではないか」と言う点を指摘して頂いた。
だから、使うたびに良く拭うのは、かえって潤滑剤を剥がす可能性があるのではないかと考えた。また、オリーブオイルなど油分を塗ると、たしかに直後は滑りが良くなるが、そのままで放置しておくと、ゴムが変形してしまう可能性もあると指摘して頂いた。

これらの点を考慮して、いろいろな試行錯誤をした結果、私なりの結論がでた。

( 1)シリンジを使用した後、内筒は、軽く水で流して、外筒と接する部分はティッシュを当てる程度で水を切る。
( 2)外筒は、掃除のためのフラッシュ(液を入れて強く押し出す)を行わず、水で洗い流した後、ティッシュを入れて、ピンセットを使って拭う(カマグなど溶けない粉末が残っていることが多い)
( 3)その後は、綺麗な場所で自然乾燥をさせる
( 4)何回か使って重くなったら、使う直前に、オリーブオイルを、内筒のゴムの外筒に接する部分に薄く塗り、軽く拭う(たくさん付けると、水分に混じり、薬が溶けづらくなる)。
( 5)使用後は、( 1)と違い、ゴムに付いた油分を良く拭う(潤滑剤はもう取れていると考えて良いから)。( 2)〜( 3)は同じようにする

私は、処方された薬も多く、使う回数が多いし、腕の力が弱っているので、最悪1日で使い捨てざるを得なかったが、以上の方法で、外筒の内側がキズで白濁しない限り、2日以上は使えるようになった。
なお、酢水も、出来るだけ糖分などの雑成分が少ない酢の方が、保ちがよいのではないかと思う。

思い込み
2005/10/20

電話でしか受け付けない、あるいは本人確認のために来て貰わないと受け付けない、ということは意外に多い。セキュリティを考えれば当然のことだが、しゃべることが出来ない上、段々動けなくなりつつある私には、いろんな意味で制約を受けることになる。
ドコモの料金プランが変わるので、インターネット上で申し込みをしようとしたら、ネットワーク暗証番号が要るという。携帯電話を使い始めて15年以上たつので、そんな物は設定していなかった(笑)。設定のためにはドコモショップへ行くしかないという。動けるうちに行かなければと言うことで、行ってきた。

店に入ると、私の歩き方を身障者と見て、女性店員が飛んできてくれた。いつもの如く、最初に「話せないけど聞くことは出来る」という説明を貼り付けたメモ帳を見せると、なにやら手をひらひらさせている。後で店を出るときに気が付いたのだが「手話対応できます」という貼り紙があった。しかし、手話は私にはわからない。というか、「聞くことが出来る」のだから、手話ではなくて、普通にしゃべってくれて大丈夫なのだが・・・(笑)。
どうしようか、ととまどっていると、今度は、その店員が自分のメモ用紙を取り出して、「ご用件はなんですか?」と書き始める。

この種の勘違いには、何回も経験している。というより、出逢う人の半数は、「話せない=聞こえない」、つまり「聾唖」をセットと思いこんで居るみたいで、私がメモに筆記すると、向こうも返事を書いて、筆談をしようとする。
そう思いこんでいる人に、その誤解をといてもらうのにも、時間がかかることが多い。前述の「話せないけど聞ける」というメモを見せても、うんうん、と頷いて、筆談を続けようとする人が少なくない(笑)。
「話すことはできません  聞くことは出来ます」
「話すこと=×   聞くこと=◎」
「話せませんが 聞けます」
いろいろなバージョンで試したが、どれもあまり効果は変わらない。
一旦思いこんだ人は読もうとしないというか、5−6回やりとりして、やっと喋ってくれるようになる。

まあ、こんな思い込みは、親切が原因で、実害はないのだが。


実は、風呂場の換気扇が随分前から壊れていた、でも、自分一人だから、まあいいか、と修理もせずに放置していた。水洗トイレのタンクも、タンクから上に水を出す部分が壊れて、これは自分で応急修理して、トイレでは手が洗えなくなるだけで、水洗トイレとしては使用できるし、と放置していた。
元気な頃は、この程度の修理は、自分でしていた。換気扇も、部品さえあれば自分で出来るし、もしかしたら法律違反かも知れないが、壁の埋め込みコンセントの取り替えも自分で出来る。
しかし、今の身体では何も出来ない。入浴介護が入ることになったので、ヘルパーの人が大変だと思って修理することにした。
最近は、リフォーム詐欺も多いし、一方では安く対応してくれる業者も多いらしいのだが、今まで自分で全部やってきたので、業者の心当たりがない。管理組合まで歩いていって、メモを渡して、業者への連絡を取って貰った。
私の住んでいるのは、元公団系の分譲マンションなので、業者もその系統だから、安くしてくれることはないが、ぼられることはないだろう、というわけだ。

早速業者が来てくれた。親切そうな人なのだが、どうもおかしい。
「聞くことはできる」ということは理解しているようなのだが、しきりに説明を紙に書きたがる。特に金額を書きたがる。そして説明の言葉が非常に懇切丁寧で、ゆっくり喋り、平易な単語しか使わない。
何回かやりとりをしているうちに、意味がわかった。
私の動作の鈍さ、ギクシャクしている点、頭を垂れて相手を見ない、書く字もかなり汚く幼稚(首の角度の問題なのだが・・・)、という点などで、私を痴呆症傾向と見て、「認知症相手のリフォーム詐欺業者と間違われないように努力」しているのではないかと思い、「私には知的障害はありません」と書くと、一瞬怪訝な顔をしたが、やっと普通の話が出来るようになった(笑)。

換気扇は4万円、水洗トイレが2万円と言っていたのが、「使える部品は交換する必要がないので、出来るだけ安く」と交渉すると、水洗トイレは1万円強まで安くなった。換気扇の方は古い製品で部品がもうないので、全部取り替える必要があり安くならないとのことだ。
もちろん、この業者が、不必要な部品まで取り替えて高くボッタクる悪徳業者ではないと言うことは理解する。水洗トイレもかなり古いので、ユーザーから申し出がない限り、他の部品も一緒に取り替えた方がよいと判断したのだと思う。自動車ディーラーの点検整備と同じで、「念のため交換」みたいなものだろう(笑)。


障害者になると、このような「思いこまれ」にはよく遭遇する。一般の人だけではなく、医療関係や介護関係の人にも、そういう思いこむ人は少なくない。意外にそういう人の方が、専門職だからこそ、逆に、思い込みからの脱出は難しいのかも知れない。

スーパーや道で、頸椎カラーを付けてふらふらと歩いている私を、あどけなく「この人、なに?」という顔でのぞき込んでくる子供は少なくない。ほんとは、「私は何だと思う?」と聞いてみたいのだが(笑)

1勝1分け
2005/10/19

介護認定がどうなるかわからないままに、電動ベッドとヘッドレスト付き車椅子のレンタルを見切り発車で始めてしまった。
というのも、前述したように、朝の起床は日々困難になり、いくら工夫を凝らしても、起きられなくなり、家庭内遭難の可能性が出てきた、という点がある。
また、首の保持は困難になり、工夫椅子では限界が来て、数日前に恐れていた事故(笑)を起こしてしまったのだ。

寝返りが大変難しくなっているため、一旦就寝しても、充分な睡眠を取る前に、寝返りの痛みで目が覚めてしまって、二度寝になることは既述したが、そのため、椅子に座っていてもウトウトすることが増えた。
数日前、突然痛みを感じて、目を覚ましたら、首が椅子の背もたれを外れ、うしろにのけぞってしまっていたのだ。
今までは、自分の手で髪の毛を掴んだりして持ちあげていたのだが、肩関節と肘関節の拘縮のため、両手共に頭を持ちあげる位置まで動かせない。
ヤベ!と半分アセリながら対処法を考えるが浮かばない。持ちあげるのは諦めた。上がらなければ落ちるしかないと決意を固めて、慎重に腰を前にずらす。身体が椅子からずり落ち、頭は肘掛けの上を滑る。一歩間違えば、頭を床に落としてムチウチ、なんてアホなことになりかねない(笑)。
10分近く掛けて、なんとか頭を手が引っ張り上げられる状態に持ってきて事なきを得た。ただし、頭の位置ばかり気にしていて、腰が落ちた位置まで考慮してなかったので、そこから立ち上がるのにも一苦労だったが(笑)。

さいわい福祉用具レンタルは、見切り発車しても、認定され下りれば、申請日に遡って適用されて、レンタル料も自己負担は1割で済むとのことだ。
本来は介護保険は老齢者向けだが、ALSなどの特定疾患にも適用されると言うことも含めて有りがたいことだ。しかし、認定されないと全部自腹で、結構厳しいが、それでも必要だと判断したのだ。

電動ベッドは、思ったよりも簡単な構造だった。ベッドの高さ、頭の位置、足の位置が電動で。最近TVCMでやってる「お姫様抱っこ起こし」も出来るヤツだが、私には関係ない(笑)。
しかし、おかげで、「起きられなくなる恐怖」は解消したし、起きあがるときの痛みも減った。ただし、寝返りの痛みは無くなるはずもなく、今朝もやはり4時過ぎに目を覚ましてしまった。
ただ、角度か自由になることから、寝るポジションの研究は可能だろうから、いろいろ試してみるしかない。
枕も、ベッドを起こしたときに落ちないようにくくりつけたが、これも工夫の余地がありそうだ。


車椅子の方は、一長一短だ。前の工夫椅子に比べて、クッションも良いし、ヘッドレストが頭を包み込むようになっているので今回のような「事故」の心配はないだろう。
ただ、介護用品の多くは、電動ベッドとは違い、「被介護者」が操作をすることを前提にしていない物が多い。このため、ヘッドレストも含め、いろんな微調整が可能だが、それは特殊な工具を使い、かなり面倒なうえに、被介護者が操作できず、介護する側がすることになっている。例えばリクライニング機能も、座っている人から手の届かない場所にレバーがある(笑)。
もう一点、前の工夫椅子より微妙に座面が高い。この高さ自体は、机との関係は、机に下駄を履かせて調整は出来るが、調整できない点が一つ有る。
手の力が弱ったことで、よく床に物を落としてしまう。前の工夫椅子だと、ギリギリ椅子に座ったまま手が届いていたのだが、この車椅子だと、届かないことが多い。
まあ、私の足の指は普通の人より長いようだから、足の指の訓練を始めよう(笑)。


ということで、見切り発車レンタルは1勝1分け(笑)。
本来のLDKは、私の仕事部屋兼、リビング兼、ベッドルームのワンルームになり、3部屋は物置となる。
「起きて半畳、寝て1畳」に比べると超豪華な生活だ!

会食
2005/10/16

最後に外で人と逢って、食事をして、酒を飲んだのは、ほぼ半年以上も前になる。もちろん、その時も話は出来ず、紙とボールペン持参でだったが、噴きこぼしはタオルで口元を押さえれば隠し通せるくらいだった。それでも、飲み込めると思った固まりが喉を通過せず、トイレでむりやり掻き出さなければ行けなかった。
それ以来、外食は、他の人に迷惑になるからと控え、長期の「見納め旅行」でも、おかゆと具の少ない丼物やカレー類を車に持ち込んでいたのは、47旅日記などに書いた通りだ。

まさか胃瘻造設を受けて、経口での飲食に別れを告げるなどと思っていなったが、前からの約束もあり、友人達に誘われて、会食に出ることにした。

雨の中を1時間以上かけて迎えに来てくれた友人の車に乗り込もうとして、まず驚いた。以前はセリカという大衆スポーツ者に乗っていたのだが、7年前にナディアというミニバンに買い換えた。亡父が心臓バイパス手術で身障者になり、歩行も困難になっていたこともあり、座席の高い車が乗降に楽だろうと言うことで、買い換えて以来、高い座席の乗り降りになれていた。ところが友人の車は普通の乗用車で、乗り降りの感覚が大きく違っていた。かなりの危険と、痛みに対する我慢が必要としながらも、まだなんとか運転できているのは、ナディアという座席の高い車を選択したおかげかも知れない。まさに 情けは人のためならず だ。

通された部屋は和室の個室だった。噴き出しや、痰による異音発生などで、他の客に迷惑を掛けたくなかったからだ。私だけのために、店の好意で座椅子を持ってきてくれたが、申し訳ないが使えない。正座は出来ないので、足を投げ出して、40°くらいの角度にしたいのだが、座布団を敷くと、高くなり、机の下に足が入らないし、どんどんずれていく。座布団を使わないと、腰の骨が当たり痛い、それでも何とか使うしかないのだが。

蟹がメインのコース料理だが、やはりなかなか口を通らない。それでも、もしかすると、これが本当に最後の料理かも知れないと、一品一品もそれぞれ一口だけは、と頑張る。手で顎を押さえて、一口分を口に入れ、箸で舌の上の奥の真ん中に乗せこむ。唾液だけは嫌になるほど出てくるので何とか誘導し、頭がかくんと前垂れになるタイミングにあわせて、飲み込もうとすると何とかなった。
友人達は、心配そうに見守ってくれるし、細かく切ってくれる人もいる。
一人暮らしなら、「食事は自立」なのだろうが、同居者がいれば間違いなく「見守り」が「一部介助」だ(笑)。
ほとんどの物は1口ずつの「味見」でしかなかったが、ただ、蟹のナマを炭火で焼く物だけはかなりの数を飲めこめた。うん、これでこそ食事だ!

栄養液はミルクフレーバーで甘いのだが、経口でなくても、その甘さや匂いが口の中に広がる。それに対して、塩味醤油味が口に広がる。そうだ、これこそが食事だったのだ(笑)。

ただ、失敗もした。
当然酒を飲むのだが、経口では半分以上が、唇から垂れ落ちたり噴きこぼす。だから、しっかりとシリンジを持参した。地酒の生冷酒をシリンジに吸い込み、注入する。初めての経験だ。みそ汁も、しっかりとシリンジで注入。
ただ、仲居さんか部屋に入ったときに、これを見たらどう思うかと、隠し続けていたのだが、最後に、隠し忘れていたのだ(笑)。
仲居さんの反応は無かったようだが、食事中に薬物は使用してなかったのでご安心を(笑)
もっとも料理店に胃瘻造設患者が来るというのは想定外だろう、

ちょっと胃瘻造設患者の宴会を想像してしまった
料理は全てイルリガートルで運ばれてきて、酒はシリンジで注入する、「乾シリンジ」と唱和して、一斉にフラッシュ(注射器を強く押して、一気に注入)するのだ。駆けつけ3本と言って、遅れた参会者にはシリンジを3本並べられる(笑)。
わが家でやらないか?(笑)


友人達には、盛り上がりに欠ける会食になったかも知れないので、申し訳なかったが、私としては、まだまだやれるとすごく幸せだった。
ただ、最後にも少し失敗した。酒がかなり残っていたので、もったいないお化けが出て、一気入れをしてしまったのだ(笑)、
ALSの脱力感は酒の酔いと似ている。帰りの店を出るときはかなりヤバかった(笑)。酔ってないのだが、足にはしっかりと来てた。

迎えに来てくれた友人が、わが家まで送ってくれた。酒を飲まない人だからだ。

介護認定の調査を受けた人間がその翌日、こんな事をして、しかも公表して良いのか?という人が居るかも知れない。でも、介護とは、障害者が少しでも健常者に近い生活を実現しようと言うことではないだろうか、と思う。

次回は、もうないかもしれない。でも、人嫌いの私が今日は楽しかった。
みんなが料理をもって私の家に集まって、私はラコールで焼酎を飲むから一緒に騒げる日が有ればいいね。
みんな、ありがとう!

ばかな話【一部改】
2005/10/15

とうとう介護保険の認定をしてしまい、今日が、「認定のための家庭調査」ということで、調査員が来宅した。

認定の仕組みはこうだ。まず調査員が、家庭訪問して、チェックシートに基づいて聞き取った内容をチェックして、それをコンピュータ入力すると自動的に結果が出る。これを「一次判定」とか「基本調査」と呼び、この結果と、主治医の意見書を元に判定会議を行い、最終的に「要介護度」が決定される。

問題は2点有る。判定会議は、人間がやるので、市の判断でバラツキがある。私の住んでいる市は、埼玉県でもかなり厳しい判定をするところらしい。まあ、それはしょうがない。
もう一つは、「客観的」に見えるコンピュータによる基本調査だ。このアルゴリズム(プログラムの論理)に欠点が多いことは、始まった当初から各分野で言われてきた。しかし、それらの批判でも一言も触れられていない、別の欠点があることがわかった。

というのは、「洗身ができるかどうか」(つまり風呂)という設問の答えは「自立、一部介助、全介助」という3つの選択肢しかない。
私は、背中が洗えてないし、風呂には入れないのでここ3ヶ月シャワーだ。だから、「まともな洗身」をするためには一部介助が必要なのだが、独居だから介助無しで風呂に入らざるを得ない。
つまり「現状」を言えば「介助無しで一部を除いて洗身」しているのだ。
これを調査員が「自立」にチェックしたのか、「一部介助」にチェックをしたのかは不明だ。
当然同居家族がいれば、背中を洗うくらいはしてくれるだろうから「一部介助」にチェックが入ることは間違いない。

「電話の利用」もそうだ。家族がいれば、話せない私が電話に出るはずもないので、「一部介助」か「全介助」だろうが、独居の私としては、人工音声やFAXを使わざるを得ない。「電話でしか受け付けない」サポートは諦めているし、人工音声で話していてガチャ切りされるのはいつものことだ。この項目も「自立」にチェックされたのか?


もっと酷い項目がある。「移動」や「衣服着脱」などの項目では、「自立、見守り、一部介助、全介助」という4つの選択肢になっている。
家族が居たら、足下がよろける移動を「見守る」のは当たり前だ。だが、私には「見守ってくれる」同居人もいないし、あいにく、わが家には幽霊も住み着いてない(笑)。
「衣服の着脱」は、家族が居ないから、自分では出来ないときがあるから「着脱機」を工夫した。家族がいれば、工夫の必要もなく、「一部介助」してもらってたわけだ。
でも、工夫して、一人で出来たら「自立」になるとしたら、こんなばかばかしいことはない。
工夫せずに、ずっと同じ服を着ていろと言うことか(笑)
どう考えても、家族と同居している人よりは、独居の方が介護の必要度は切実な筈だ。ところが、この調査方法では、間違いなく、独居の方が、要介護度が低くなる。独居者にとっては、出来るか出来ないか、という二つの選択肢しかないのだ。

実は、私はこの判定方法の解析方法までわかってしまったので、どういう風にチェックをすれば、どういう判定結果が出るかもわかってしまう(笑)。
正直に客観的に、そして家族が同居していると仮定したら、わたしの要介護度は3になると思う。でも、上記のような「独居の不利」を考えると2になるだろう。
しかし、「冷たい我が市」の判定会議ではもっと酷い結果が出ることもあり得なくはない。
支援不要とか、要支援レベルに判定されたら、市役所に乗り込んで泊まり込もうと思う。きっと「見守り」をしてくれるだろうから(笑)。



あ、もう一つ馬鹿な話を見てしまった。
荒川氏という「養老天命反転地」なるテーマパークを設計した建築家が居て、彼の「体にある程度の負荷がかかる生活をする方が自然。健康な老人が、バリアフリーの施設に入って、かえって衰えが進んでしまうという事例もある。工夫をしない生活では人は退化する一方だ」という意見に基づいて、反バリアフリーの家を建築して売りに出したというのだ。
http://www.tokyo-np.co.jp/00/thatu/20051013/mng_____thatu___000.shtml
テーマパークをそう言う考えで設計するのは面白いし、建築するのも売りに出すのも勝手にすればよいが、大金持ちが別荘として買うのならともかく、回りの住宅の倍近い値段もかまわずに生活の場として買う奴が居たとしたら、究極の馬鹿だろうな、と思う。
山中鹿之助じゃ有るまいし、わざわざ工夫をするためにそんな環境を選ぶのはアホだ。私は、工夫せざるを得ないからしているのだ。
そして、工夫をしても退化するときは退化するのだ。
この建築家や、この家を買う人間は、「自分は、老衰や退化はしない」と思っている傲慢な人間だと思う。
荒川氏には、ぜひ、自分の思想を活かした家に、老衰したり病気になっても住み続けることを期待したい。


結局、なってみなきゃわからんことはある、と私は感じている。

いつまでも
2005/10/13

以前にも少し書いたことだが、「期間限定」ということがひどく大切なことだと思っている。

たとえば「永久(とわ)の愛」の言うのは、嘘だ。というより、宗教を信じていて、その宗教が「永久の命」を保証してくれていない限り、「永久の愛」はあり得ない。
「愛」は心の情動であり、命が永遠でなければ、永遠愛はあり得ないだろう。
しかし、もし、魂が存在していたとしても、肉体を持った愛と、魂だけの愛では、当然話が違うと思うのだ。「性愛」もあり、ALSのように性機能は衰えなくても肉体機能が衰えていったりする病気になると、その辺はくっきり見えかかっているのだが、ここでは、その辺のドロドロした物にまでは踏み込まない(笑)。

まあ、私は未だに「愛がわからない熊」だから(笑)、愛という単語を使うのはやめておくが、例えば誰かに好意を持った時、どうすればよいのだろうかということだ。
単に障害を持っているのなら問題ない。その障害も含めたありのままの自分をぶつければよいからだ。
問題は、ALSの場合、確実に障害は大きくなることが確定しているという点だ。

例えば、「逢いたい」という気持も、今は、まだ「逢いに行ける」が、数ヶ月後には、「逢いたい=来てくれ」しかなくなる、という可能性が大きいわけだ。
そして、その究極が、逢いに来てくれても、私は灰になっていて、来てくれてもそのことが私にはわからなくなっていることもありえると言うことだ(笑)。

どうも、人間は、「今が何時までも続く」と考えがちだ。
私より数十歳年上の方は、「今が続かない」ことを理解していると思う。敗戦により、神国が嘘っぱちだったことを身をもって体験しているからだ。もちろん、それでも神国を信じている理解力の無い人もいるし、歴史を教訓としないで、神国復活を夢想しているドアホも増えているようだが(笑)

多分、私がALSの告知をあっさりと受容できたのは、「こんなことが何時までも続くことはない」、「物事は変化しているから面白い」、「終わりがなければ面白くないものもある」と、いつも思っていて、しかも「永久の生」なんてあり得ないと知っている無宗教者だったせいも有ると思う。

実は、仏教で言う「解脱」は、本来は「輪廻からの脱却」ができるということだ。輪廻は、因果による生まれ変わりだから、ある意味で「永久の魂」の存在を前提としている、非常に妄信的な思いこみだ。そういう意味で、私は、最初から解脱している。輪廻なんてマンガは信じていないからだ(笑)。

でも、だからこそ、私は強く生きられると思う。先が何時までも続かないことを知っているから、今を充実して生きていきたいからだ。そう思って生きてきたからこそ、ALSを告知されても、生き方に変化がないのだ。だからこそ、新しく興味を持った物については、時間がないのを承知で勉強を始めたりするのだ。

そして、もし、私が誰かに好意を抱いたら、堂々と口説こうと思う。「私と逢える間は、逢って欲しい」、そして、「逢っている時間だけは、幸せでいたい」と。例え、私の命が終わるまでに1回しか逢えないとしても良いではないか?


あ、問題が一つ有る。今のような生活をしていたら、好意を持てる相手と出会う機会が無い・・・!(爆)

サプリの粉砕と服の着脱機(10/09追記)
2005/10/08

入院を期に、新聞を取るのを止めた。朝刊は5階まで配達してくれるが、夕刊は1階の集合郵便受けなので、取りに行くのが辛いと言うこともあるが、なによりも、広い紙面を、拡げて、折って、ページをめくり、畳むという動作が大変になったのだ。

何気ない動作でも、なかなか厳しくなりつつあるが、その動作をやらないこと、あるいは新たな工夫でしのいでいる。

■服の脱ぎ着
服を着たり脱いだりするのもそうだ。

以前はTシャツにGパン派だったが、胃瘻のこともあり、今はYシャツ系にルーズな半ズボンだ。まだ涼しいから良いが、寒くなったらどうしようかとも思うが、部屋に閉じ籠もっていたら、何とかなるだろう。

パンツやズボンの脱ぎ着は、椅子に座っていれば問題ないが、Yシャツが時々脱ぐのに大変なときがある。今は、長袖だから、両袖を交互に少しずつ引っ張ればスルッと抜けてくれるのだが、生地の種類と湿度や汗によって、首の部分が抜けてくれないときがある。
そこで思いついたのが、マイクスタンド改造のイルリガートル支持棒についている、イルリガートルを引っかける金具だ。
この金具にYシャツのボタン穴を通し、角度を変えながら離れると、見事に服を脱ぐことが出来た。
脱ぐことが出来るのなら、着ることはできないかと考えるのは当然だ(笑)。服を持ってくれる人がいれば、そこに手を通すのは楽になる。
しかし、着終わったあと、離してくれなければいけない。有る程度、服を持ってくれて、でも、用が済んだら離してくれる便利な道具はないだろうか?  有った!(笑) 洗濯ばさみだ。
金具に洗濯ばさみの丸い金具の部分を通し、洗濯ばさみでYシャツのエリの真ん中を挟む。紐を引っ張ってほどよい高さまで上げて、両腕を通す。そのあと、紐を引っ張ると、見事に服が上に上がって着ることができた。その後、強く遠ざかれば、洗濯ばさみからは服を離してくれる(笑)。
以後、イルリガートル支持棒兼服着脱機と呼ぼう(笑)。

■サプリの粉砕
逆に新しくしなければいけないこともある。
何回か述べてきたように、栄養液だけで生きていくためには、幾つかの元素を別に摂取しなければいけないらしい。一番必要なのが塩分で、それ以外にも、栄養液の種類によるだろうが、セレン、亜鉛、銅などが不足になると言う情報もあった。
私は、元々好き嫌いが多い上に、食事が不規則なこともあり、特にひとり暮らしが多くなってからは、マルチビタミンやマルチミネラルのサプリメントを取ってきた。最近まで、これらのサプリは、まだプリン程度なら経口で食べられるため、プリンに混ぜて飲み込んでいた。
ところが、やはり嚥下障害の進行で、プリンですら噴き出したり、1時間後に痰が絡まるので吸引したら、サプリの錠剤が喉に引っかかっていたこともあった。
ということで、粉砕による注入を試みたのだが、これがなかなか難しい。
前に書いたように、安売り店で、TescomのTML-14というミルキキサー
http://www.tescom-japan.co.jp/products/kitchen/food_mill/tml14.html
を見つけ、2000円以下(ネットでもこの値段で販売している)ということもあって、購入した、また、乳鉢も、画材などのすりつぶしようが安かったので購入した。

その結果、乳鉢は、力が要るので諦めて、ミルミキサーの「お茶ひき」機能を使うことにした。
これは、お茶葉を粉末状にして飲むためのものらしいが、問題なくサプリを粉砕できる。1分間回し続けると、かなり微細になる。病院で処方されている、溶けないので有名な(笑)「カマグ」(酸化マグネシウム:便通をよくし、胃酸を中和する働き)の粉末よりも細かくなる。
ただし、作動音がかなりうるさいこと、粉砕された粉末が容器にこびりつくこと、そして、完全な密閉性がなく、粉末が一部外に漏れる、などのロスが多いという欠点があるが、これを使うことにした。
(情報によると、小さな病院や薬局で、粉砕の需要がそれほど無いところでは、メーカーは違うだろうが、ミルミキサーを使用しているところもあるらしい)

しかし、粉砕しても、微量元素は金属系だからなのか、なかなか綺麗に、お湯には溶けてくれない。
そこで、錠剤のままよりは飲み込みやすいだろうと、粉末をプリンに混ぜ込んでみたが、とてもじゃないが、一度試したら二度と試したくない味と臭いに辟易して、即、却下(笑)。
容器にお湯を入れ、シリンジで吸い込もうとしたが、これもなかなか綺麗に吸い込めない。
そこで、薬の注入と同じように、爪楊枝で蓋をしたシリンジにお湯を入れ、粉砕した粉末を、一旦折り目を付けた紙に移し、その紙から、シリンジに入れる。
しかし、いくら振っても、溶けない。そこで、胃瘻チューブへ注入するときに、シリンジを斜めにして、出口の部分を真下になるようにして、ゆっくりと注入する。そうすると溶けない粉末が、重みでシリンジの出口付近に溜まってくるので、最後は水圧で一気に注入。そして、もう一度、若干のお湯をシリンジに吸い込み、残った成分を同じ要領で注入する。
これで、大体なんとかなった。

ただ、酢水の注入も含めて、シリンジを酷使することになるので、1本のシリンジが2日、持っても3日程度できびしくなる。
まあ、使い捨てのシリンジを、フラッシュも入れたら、1日に20回近く使っているのだから無理はないのだが(笑)。

もちろん、注射針は要らないから、シリンジだけなら薬局で買えるようになると安心するのだが・・・。

【10/09追記】
ミネラル系サプリやカマグなど、溶けないで粒子状になるものは、シリンジの内筒に細かな傷を付けてしまったり、硬くなる原因になりやすい。昨日は、丸1日で1本ダメになりました。
シリンジに油を薄く塗ると長持ちするという情報もありましたか、私の実験ではあまり効果が無く、かえって溶けづらくなるという感じです。
サプリやカマグは、栄養液への混入は問題があるかも知れないので、野菜ジュースなど少しドロドロした物にまぜる等、何日か掛けていろいろ比較実験して、報告します。
シリンジを買えない一般患者にとっては、結構厳しい問題ですから・・・。

栄養液混入問題の試験結果(夜追記)
2005/10/07

ALSは基本的に消化機能への障害は出ないようだ。もちろん、ALS患者でも、老齢の人が加齢に伴い消化機能が弱ってきたり、あるいはALS発症以前に消化器系統に問題がある人もいるだろう。しかし、そうでない場合に胃瘻造設を受けた人は、口から喉、食道という経路が悪いだけで、胃に注入するものについては基本的にタブーはないと考えて良いだろう。

だから、酒が好きな人間は、酒を注入すればよいし、コーヒーやラーメンのスープでも良いと、主治医にも言って頂いた。もちろん、注入では、舌で味わったり、喉越しの快感は無い、という辛さはあるが・・・。
しかし、逆に、便通の問題で植物繊維を必要と考えた私が、生涯一度も飲む気の起きなかったトマトがメインのジュースを注入しても問題がなかったように、嫌いな物でも摂取できるというメリットもある。

酒が好きだった私としては、当然、退院後、いろいろな酒と、その摂取方法を試してみた。

まず気が付いたのが、私は、かなりのハイピッチで、焼酎やバーボンなどはロックで、しかも大量に飲んでも平気な、いわゆる「ザル」だが、それでも、飲むのと点滴注入では違うという点だ。
通常は、「ぐびっ」と有る程度のまとまった量を口に含み、「ごくっ」と飲む・・・<ああ、あの快感は帰ってこないのだ(笑)。
そのあと、つまみを食べたり、しゃべったり、タバコを吸ったりして、しばらく時間を置いて、次の「ぐびっ・ごくっ」に入るわけだ。
それに対し、点滴注入では、ごく少量の酒が、常に胃の中に注入され続ける。
また、胃瘻の孔は、当然1個所で、その注入方向も決まっている。だから、入ってきた酒は、ほぼ同一の場所に、最初に当たることになる。
それらのことを考えると、酒を何かで割る、というより、他の物に混入した方がよい。しかも、栄養液は、牛乳からの成分も多く、酒から胃の粘膜を保護するのではないかと考えた。おつまみを食べながら酒を飲むわけだから、食事と酒が一緒に入ることは何の問題もない。

ところが、焼酎(甲類も乙類も)、バーボンでは問題なかったが、ブランデーを栄養液に混入すると、凝固が起こり、澱のような物が発生してしまった。また、日本酒の大吟醸でも、ブランデーほどではないが、若干の凝固が起きた。
いろいろ考えたり調べた結果、酒の種類の酸性度に問題が有るのではないかという結論になったが、わが家にはpH(ペーハー)試験紙がない。大手の薬局に行っても本格的な物はない。ネットで調べた結果、酒の酸性度が想像つかないため、細かな判定は出来ないが、全域(pH0〜pH14)を測定できる試験紙を発注した。
同時にバーボンは飲み尽くしていたし、ワインもなかったので、酒屋で、ウイスキーのミニボトルと、「梅ワイン」と白ワインのミニボトルも購入した。

今朝、試験紙が到着、早速、測定を行った。前述のように、全域試験紙のため、pH値はあくまでアバウトだが、ワイン系はpH3、ブランデーはpH4、ウイスキーはpH5、焼酎はpH7、日本酒はpH4強、ついでに野菜ジュースも測定すると、野菜100%の物も、野菜と果汁50%ずつの物もpH4強という感じだった。
早速、少量ずつを栄養液と混ぜてみる。見事に結果が出た。pH3は完全に澱のように細かく凝固、pH4はワインほど酷くはないがやはりかなりの澱が出た。そしてpH4強も若干の澱が出たが、pH5以上では問題なかった。

もちろん、これだけでは、pH値が犯人とは断定できない。そこで、ブランデーと焼酎を混ぜて、pH5程度の「新酒」(笑)を作成。この「新酒」」には、ブランデー由来の成分が残っているので、成分が反応して凝固が起きるのなら、犯人はpH値だけではないと言うことになる。逆に、これで凝固がなければ、ほぼpH値が犯人の蛋白凝固ということになる。実験結果は、予想通り、凝固なし。つまり、ブランデー由来の成分が犯人ではないことになる。

ただし、ワインについては酸性度が強いせいか、あるいは緩衝作用が強い酸性なのか、試験紙の測定がアバウトなこともあり、適度な「新酒」を作成できなかったので、果実由来の成分による凝固を100%否定は出来ない。
栄養液のメーカーでは、塩の混入も凝固の原因になるからと薦めていない(栄養液だけしか摂取していないと、塩分が不足するので、別途塩分の摂取を薦める医者が多い)。だから、栄養液と、それに混入する物との成分同士が反応して凝固現象を起こす可能性もあるので注意が必要だ。
しかし、少なくとも、pH4強以下の物の混入は、酸性値による蛋白凝固反応を起こすと考えても良いと思う。

野菜ジュースを注入する人も多いと思うが、イルリガートルのチューブをよく洗浄せずに、栄養液と野菜ジュースを続けて使用すると、凝固する可能性があると思う。(私は、栄養液注入直後に、洗浄せずに、そのままお茶や水分を、チューブの洗浄を兼ねて注入しているが、これは問題ない)

また、酒好きの人のQOLのためには、栄養液に甲類焼酎を混ぜて飲むのが一番胃にも財布にも優しいと思う。なにしろ、どんな高い酒でも、胃の中に入れば単なるアルコールだ(笑)。
ただし、自分に適度な「アルコール総量」を計算して、控えめに注入することをお薦めする。また、体重の減少も考慮に入れた方がよいと思う。
酒の酔いは、ALSによる筋力の衰えからきた脱力感を増幅するのだ。

なお、凝固した成分が、注入できなくなるだけで、それ以外は何の問題もないのか、それとも、胃に良くないものになるのかは不明で、問い合わせます。

【追記】
メーカーから迅速な回答が来た。
「この商品は医薬品として開発され許可されているので、他の物を混入するというような目的以外の使用法については推奨していないので、医薬品としての使用法(酸性の強いものの混入)によって出来た凝固物が、有害・無害かどうかは保証できない。但し、食物は胃に入り、胃の中の胃酸は酸性であり、栄養液が胃の中に入ると当然胃酸と混合される。」という主旨である(要約の文責は私)。
これは、非常に納得できる回答で、食用の酸性物質と混合されることによって起きる蛋白凝固なら問題ないだろう、というのも胃の中で胃酸と出会うことで同じ現象は起こりえるわけで、神経質になる必要がない、というのが私の判断だ。
ただし、「澱」により、イルリガートルや胃瘻のチューブが詰まる可能性だけには留意が必要だろう。

医療側やメーカーでは、このような実験をするわけがないし、まだ病院内などで酒の注入を薦めることが出来るわけがないのも当然だ。
私のような、好奇心を持ち我が儘な変な患者が実験するしかないと思うし、酒を飲むことが問題ない患者や、その家族の人達に参考になれば幸いだと思う。

ただ、くれぐれも、量は控えめに、また、「注入したら乗るな!」(笑)。

介護認定の申請をした
2005/10/06

主治医からはだいぶ前から、「介護認定の申請をしなさい、間違いなく認定される」と薦められていたのだが、最初に市役所に相談に行ったとき、「6メートル一人で歩けるうちは無理」と冷たく言い放たれたこともあったし(笑)、もう一つ、自分で出来る間は、介護や、公的な援助はできるだけ頼みたくないと思っていた。しかし、胃瘻造設による週一度の訪問看護がはじまり、病院の医療相談室の方々のご尽力で、吸引器の補助と、支援費制度による週1.5時間の家事支援が決まった(いろんな手続きがあり、いつから利用するかは未定だが)こともあり、最近、制度を利用しないことは、もしかしたら自分の中に残っている「健常者としての偏見」の残滓ではないかという気がし始めた。
「患者だから不自由なことは当たり前」、というのは、今でも、ある意味でしょうがないとは思っている。それが事実である以上、受け入れるしかないからだ。しかし、その中で、「少しでも健常者の時のように、普通の生活に近づきたい」と思うことは、甘えではないのではないかと思い始めたのだ。

かかりつけの病院のリハビリ科の担当医師が、私の体幹と上肢の障害度が総合で、身障手帳の2級に相当すると診断書を書いてくれた。その診察は9月の初頭だから、もう1ヶ月を過ぎて、診断書の内容よりもかなり症状は進んでいる。

例えば、「寝返り」は「○」、つまり自分で問題なく寝返りできるとなっている。しかし、現状は、仰臥位では息苦しくて眠れないため、横臥位で寝ているのだが、2時間程度で腰や腕が痛くなり寝返りをうとうとすると、必ず目が覚めるのだ。というのも、寝返りを打つと言うことは、体幹の移動に合わせて首も180度向きを変えるわけだが、首を支える筋肉がほとんど役に立っていないため、首が取り残されて激痛が走る。手で補助をしながら数分を掛けて首の向きを変えないといけないのだ。もちろん、痛みに耐えながらでもなんとか寝返りは打てる。でも、痛みのため、目が覚めてしまい、また眠りに落ちるには時間がかかる。そして、新しい体位で息苦しくなったりすると、一旦起きだして、しばらくして眠気が出るまで椅子に座る。だから最近は2度寝することが多い。
起き出すことも大変だ。まず左半身を下にする、上になった右足をベッドの枠に引っかける。左手をベッドに突っ張るが、前に書いたように、親指と、最近は人差し指まで手のひらの中に潜り込むので、それを意識して外に出す。右足に力を入れると、頭は垂れながらも、上体が少し持ち上がるので、右手をベッドの枠に添えて、首の痛みを耐えながら、両手と右足の3点のバランスを考えながら力を入れると、なんとかベッドの上に起きあがれる。そこから、足をいざるようにして、ベッドの脇まで移動して、外におろすことで、やっと「起床」になる。
しかし、そこからも要注意だ。起き抜けは一番バランス感覚が良くない。ほんの些細なつまずきで転倒になる。幸い、首は完全前垂れなので、足下しか見えない(笑)。家の中なので、前を見なくてもどこに何があるかはわかる。注意しながら、危なくなったら、いつでも壁にもたれかかれるように歩く。注意をすれば、杖無しで6m歩くことはできるのだ(笑)。

しかし、それを「寝返りは問題なくできる」、「一人で歩ける」と呼ぶのだろうか、という疑問はあるのだ。

胃瘻になったことで、家事も随分する量が減った。私なりの数々の工夫で、出来るだけ右手をメインに、左手は手を添える程度でいろいろなことができるようになったこともある。栄養液や薬の注入から洗濯まで一人で出来ている。
入浴もシャワーしか浴びていないが、なんとかやってる。でも、背中は洗えない。首筋に石鹸を出来るだけつけて、しつこくシャワーをして、洗ったことにするのだ(笑)。浴槽に浸かったのは3ヶ月前だ(笑)。
それでも以前は毎日シャワーを浴びていたが、最近は半分に減った。でも出歩かないから汗も掻かないので問題ない(笑)。
掃除はほとんどしていない。椅子とベッドに座りきりだから埃も少ないし。机の上と台所のシンクさえ清潔ならばよいと割り切った(笑)。


出来るか出来ないかと問われたら、「出来る」と答えるしかない。しかし、それは、いろいろな「出来ないことを切り捨てた」上で、「必要最小限の部分」をいろいろな工夫をして、しかも、以前の数倍の時間と、そして痛みをこらえながら、「なんとかできている」というのが実情だ。

「患者だから当たり前」ではある。しかし、「もう少し普通の生活に近づけたい」と思うのは贅沢なのだろうか?

身障者等級の変更申請と同時に介護認定の申請もした。すぐに介護の人に入って欲しいのではなく、福祉用具のレンタル補助、特に、ヘッドレスト付きの車椅子(もちろん手が弱っているので自走式ではないし、エレ無し5階へ定置する)と電動ベッドが欲しいと考えているのだ。
事務椅子改造工夫椅子ver.2でも、そろそろきつくなってきて、「紐で縛り直す」こともきつくなってきているからだ。
また、もし何かあったときに、足はまだなんとかなっているので、ベッドから下りることが出来れば、ファックスやパソコンにたどり着けるのだが、ベッドから起きあがることが出来なければ、文字通り「家庭内遭難」になるのが独居の危険性だ。


身障者等級変更の可否がわかるのが2ヶ月後、介護認定の結果が出るのが1ヶ月後だという。そのころには、もっと症状は進んでいるだろうな(笑)。

2005/10/04

幼い頃、病院で出される薬と言えば、ほとんどが粉薬だったと思う。昔は、今のように薬を密封する機械もなくて、紙を手で折った家型の5角形で渡されていた。
成分もいろいろな薬が混ぜられていて、年齢や体重により、その量は加減されていたはずだ。

それが錠剤になったのはいつ頃だろうか?
それも、市販の風邪薬のようにいろいろな成分が入っているものではなくて、単一成分が多いような気がする。
しかも、子供は1錠、大人は2錠というような処方の違いはあるとしても、大人には普通、体重とは無関係に処方されていた。
体重が40kg程度のスリムな女性と、一時は100kgもあった私と、量が同じというのはどうも納得がいかない(笑)。
市販の風邪薬などは、体重60kg程度の人向けの処方だろうだから、私は1.5倍の量を飲んで良いのだ、と勝手に解釈して服用していた。もちろん、この考えが医学的、薬学的に正しかったのかどうか、確証はないのだが(笑)。

こんなことが再び気になりだしたのは、胃瘻により、薬は、最初から粉薬であるものは別として、薬局で粉砕して出してくれるようになったからだ。
そして、粉薬を入れた袋に、かなりの粉が付着したままで、それを摂取するためには水でも入れて融かすしかないが、さすがにそこまでやる気はない(笑)。
錠剤だと、その成分は全て胃の中に入るが、粉薬にして貰うことでかなりのロスがあるような気がする。
もっとも、体重が3/2に減っているので、昔の体重に比べると、体重1kgあたりの摂取量は増えているのだろうが(笑)。

副作用の検査にしても、通常、体重1kgあたりの摂取量が問題とされるのに、体重が倍になっても処方がおなじ量というのが不思議だ。そう言えば、昔は、初診時などには必ず体重を聞かれたのだが、それも処方の量に関わっていたような気がする。

通常の人の食事では、ほとんど間違いなく含まれていて問題がないのだが、栄養液だけで生活していると欠乏症になる恐れのある微量元素の一つにセレンがある。このセレンは毒性も強く、人によって説は違うが、必要量と上限量がわずか5倍程度であるという意見もある。そして毒性の研究では、通常、半数致死量(この量を服用すると半数が死亡する)という場合、「×mg/1kg」というように、体重1kgあたりの量を言う。

そう言うことを考えると、どうも「錠剤での処方」は、かなりアバウトなような気がするのだが・・・。

もっとも、ALSの場合、「ALSに効く薬」はなく、例えば私の場合、去痰剤のように実効性のある薬以外は、痛みを緩和したり、気やすめなような薬が多いので気にする必要がないのかも知れないのだが。


実は、ALSになる前の私の食生活習慣はかなりデタラメだった。基本的には、腹が減ったら喰う、と言う家事で食事時間も量もバラバラだった。
特に、母が倒れて高知で単身生活を始めてからは、自覚していなかったようだが、嚥下障害を感じていたのか、あまり食事意欲がなくて、1日1食と、夜に酒+つまみという1日2食を続けていたし、ALSが確定して、明白な嚥下障害が出てからも1日2食が限度だった。

ところが、胃瘻になってから、自分でも信じられないような規則的な1日3食生活になってしまった(笑)。
寝る時間が少しずれるので、朝食の時間は、数時間ずれるが、基本的にほぼ6時間置き、例えば9時に朝食(栄養液400ml+野菜ジュース300cc)を取れば、午後3時(栄養液600ml)、夜9時(栄養液600ml+純アルコール量50〜75cc)に注入し、薬もそれに合わせている。
もっとも、本来、食事のあいだに取る水分(間水)は栄養液の注入直後に、イルリガートルの掃除を兼ねてとっている。また、本来は食前にとっていたリルテックと、その他の食後に取る薬を全部まとめて、食間にとるようにした。
というのも、最後に薬を注入すると、特に夜に、寝る姿勢によっては薬が逆流して胃ろうチューブに出てきて、酢水とまじったりするからだ。
栄養液を2/3ほど注入し終わった時点で、薬を注入し、そのあと、また栄養液を注入、そして最後に水分を注入することで、薬は完全に胃の中に送り込まれ、チューブはかなり綺麗に保たれるし、逆流する成分に薬はほとんど入ってないようだ。

このやり方も、次回の胃瘻器具交換時には、現在の胃瘻チューブではなくて、胃瘻ボタンになるはずなので、そうなればこのやり方は不要になるのだが・・・。

それにしても、こんなに規則的な食生活をするようになるとは思っていなかった(笑)。

胃瘻の解説 2 胃瘻礼讃(笑)
2005/10/03

経腸栄養法の基本は、口や食道がだめだから、胃や腸の消化器官に、直接栄養を送り届けよう、というものだから、その延長線上に、だったら胃に直接食物をほうりこもうという発想が出てくるのは当然だ。というより、鼻から通すチューブという発想の方が、チューブの開発や、そこから入れる栄養液が出来てからあとに出てきた発想だと考えられる。
「胃瘻」の「瘻」とは、もともと病気などによりできた穴のことで、炎症性腸瘻や痔瘻などに使われていた。それを、人工的に胃と外部をつなぐために作った穴のことを「胃瘻」のように呼び始めたということだ。そう言う意味で外科的開腹手術により、胃に穴を開け始めたのは17世紀に遡るらしい。「胃瘻造設」という意識での手術は、1849年にsedillotと言う人が、世界で初めて行ったらしいが、縫合不全などで患者は死亡、その後いろいろな改良により1890年代に外科的胃瘻手術の原型ができたという。ただ、調べても、この時代の胃瘻から、何をどの様にして胃の中に送り込もうとしていたか、また、現代と同じように「栄養を送り込むための胃瘻」だったかどうかについて解説しているものは見あたらなかった。

この初期の外科的胃瘻造設手術は、あまり広まらなかったようだ。なにしろ、開腹手術で、当時としては大手術だったろうし、栄養液も出来てなかったせいだろう。そして、中心静脈栄養法の完成と、経鼻注入の普及により、胃瘻はほとんど顧みられなくなる。

私が受けた手術は、 経皮内視鏡的胃瘻造設術(Percutaneous Endoscopic Gastrotomy)、略してPEGと言われるもので、この手法が開発されたのは1980年だ。従来の外科的胃瘻造設では、腹を大きく切り開いて胃瘻を作る必要があったが、PEGでは、内視鏡医との共同作業により、造設手術で腹に開ける穴は、10mmから15mm程度のT字型の切れ込みだけで済み、手術時間も短く、患者の身体への負担も少ない。日本では、私のように入院するのが普通だが、アメリカでは、外来で手術を受け、日帰りする場合も多いと言うほどの簡単さだ。

PEGの手術方法は、大きく分けて、プッシュ法、ブル法と呼ばれる方法と、イントロデュース法という方法に大別され、私が受けたのはプル法のようだ。以前の日記で私が推測したように、胃カメラの内視鏡で観察しながら、穴の位置を決め、そこに切れ込みを入れ、そこからワイヤーを送り込み、そのワイヤーを胃カメラを引き抜くときに一緒に口から引き出し、ワイヤーに胃瘻の外側部分の部品と内側の留め具をひっかけ、胃の中に引っ張り込むという手法だ。この方法だと、開けた穴より大きな留め具(バンパー)を簡単に胃の内部に送り込めるわけだ。
イントロデュース法というのは、外から開けた穴からチューブを送り込むため、留め具は風船のようなもので、外から水を送り込むことで風船を膨らませて留め具とする。つまり「バルーン」型と呼ばれるものだ。
それぞれ一長一短があり、病気の種類によって、あるいは主治医の好みや、患者の希望によって選ぶようだ。

このPEGによる胃瘻が、日本に本格的に普及しはじめたのは、まだ10年もたっていないようだ。
これが普及してからあとで私のALSが発症したことに感謝する。

実は、少数だろうが、胃瘻造設を「人間の尊厳に関わる」と拒否する人もいるらしい。腹に穴を開けてそこからしか食事できない、ということに抵抗を感じるらしい。しかし、私には全く抵抗がなかった。
粉砕食自体がある意味で哀しい食事だった。刻み食ですら受け付けなくなったとき、偶然テレビのバラエティ番組で、トンカツをジュース状に粉砕して食べるということを罰ゲーム的にやっているのを見てしまって、おもわず「そうしなきゃいけない患者がいることを承知でやっているのか」と思ってしまったのだ。承知の上でギャグにしているのなら問題ないが(笑)、おそらく何も考えていなかったのだと思う。
いろいろなものをごたまぜにして食するというのも、「胃の中にはいってしまえば同じ」と考えればよいと自分を納得させた。その延長線に、口と食道を経由しなくても胃の中に入るのだから、と考えれば、問題ないのだ。
腹にチューブ、もしくはボタンが常にある、という状態も、それほど問題ない。裸で抱きあうような事態があれば、少し気を使う必要はあるだろうが(笑)。風呂に入ることも普通と同じように出来るし、ゴムひもネックレスをすれば、何の抵抗もなく外出も出来る。
何よりも、むせと闘いながら、「苦難の食事儀式」と化していた2時間に比べたら、天国のような気楽さだ。
特に独居の身の上とすれば、食材の買いだし、調理、後始末は断然に楽になったし、注入中には両手が空いているため、チャットや原稿書きも出来る。

しかも、胃瘻は私のように、「食事が出来ない状態が死ぬまで続く」患者と違って「一時的な摂食障害」患者にも有効だ。ピアスの穴と同じように、胃瘻の瘻孔は、抜去すれば短時間で塞がるらしい。胃瘻中は消化器官が正常に機能しているため、胃瘻をやめたら、普段の経口に簡単に復帰できるわけだ。
胃瘻は、中心静脈栄養法のように、行動の制限はないし、経鼻栄養法のような苦しさや違和感もない。患者本人にとっても、介護する側にとっても、こんな楽なものはないと思う。

もちろん、胃瘻は万能ではない。特に、衰弱が激しくなると、胃瘻による液体の注入は、逆流を起こし、栄養液の固体化をして注射器からの注入が必要になり、そうなると、毎回かなりの手間がかかる。また、瘻孔の炎症等のトラブルもあり得るし、定期的な器具の交換も必要だ。
中心静脈栄養法なら、ほっとけば良い、と言う意味で、介護施設によっては胃瘻患者を拒否するところもあるようだが、少なくとも経鼻よりはずっと簡単だし、おそらくは胃瘻の利点とQOLの向上について知識を持とうとしない「遅れた考え」の人しか居ないせいだと思う。


現在、注文したpH試験紙の到着を待って、酒の混入実験をやる予定だし、医学的には正しいかどうかは別として、胃瘻による自己流手順も確立されてきたので、それらの実際についてはまた報告する。

胃瘻の解説 1 胃瘻前史
2005/10/01

胃瘻について、基礎的な話を整理してみる。

人間は、霞を喰うという仙人や、何も食べないでも生きていけると称するごく希な詐欺師(としか私には思えない)以外は、生きていくためのエネルギーや必要なビタミンやミネラルなどを食事によって取る。そして、「食事」とは、口から摂取し、胃腸等の消化器官で消化し、吸収するわけだ。
脳の障害で食事が出来なくなったり、しようとしなくなったり、あるいは消化器が全く機能しなくなったり、口からものを飲み込めない嚥下障害などの様々な理由で食事が出来なくなると、必要元素の欠乏症や、エネルギー不足の餓死などによって死に至る。
このような事態になった患者に対して、栄養を補給する手段は、従来は2つしかなかった。

一つは、栄養を血管に直接送り込む方法で、腕などの末梢静脈を使う場合もあるが、ほとんどが中心静脈栄養法とよばれる方法で、鎖骨下静脈に太い注射針を常置し、そこから高カロリー輸液を流しこむ方法だ。
これは手術で絶食が必要な場合など一時的にはよく行われる方法で、私も胃瘻造設手術の前後の絶食期間には、ずっとこの方法で点滴を受けていたが、それを外す予定の前日に輸液が通らなくなったために、手に末梢静脈栄養法により点滴を受けるという二つの方法を経験したのだ。
血管への輸液は、犬を実験材料に使われることが多いらしく、1628年に血液循環が発見されたあと、1665年に、犬の静脈にワインを注入したら酔っぱらい症状がでたという話がある。
その後、19世紀初頭のコレラの大流行の時に、食塩水と重曹を静脈に注入することで多くの患者が救われたことで、「輸液」の重要性はクローズアップされてきた。
1956年には、子犬に血漿を血管から注入することで生命維持が可能なことが証明された。しかし、末梢静脈からの注入は、量も少なく、中心静脈栄養法が確立されたのは、1967年、ダドリックが子犬で実験するのを待たなければならなかった。この実験が成功したことにより、人間に応用されはじめた。1986年の「厚生白書(昭和61年版)」の「先端医療技術」の項には「消化器の障害等で栄養を経口摂取できない場合に,末梢静脈への点滴という従来の方法では十分カロリーを補給することができなかったが,チューブを心臓に近い静脈に導いて高濃度の栄養液を点滴する中心静脈栄養法が開発されて事情は一変し,現在では手術前後の衰弱を防げるようになっている。 」という記述があり、中心静脈栄養法も、歴史が新しいことがよくわかる。
しかも、ビタミンB1不足によりTCA回路という反応ルートがうまく働かずに脳症を発生する可能性があり、輸液施行時には、ビタミンB1を必ず入れるようにと、緊急安全情報が流されたのはわずか8年前の1997年だ。

私自身の経験からして。末梢静脈栄養法は、点滴速度を遅くしなければいけなかったし、それでも、液漏れが生じやすく、腫れが出てしまった。また、中心静脈でも、結局寝返りをうつときに外れてしまったし、常に点滴支持棒を連れて歩かなければいけないという、日常生活には不便なものであった。
寝たきりで、ほとんど意識が無い人などには有効であろうし、後述するように、消化器機能を失われた人には、これが命の綱であることは理解するが、今の時点では選択肢としては考えたくなかった。

もう一つの方法が、「経腸栄養法」と呼ばれる方法で、消化器機能が保持されている患者にはよく採られる方法だ。
というのも、血管からの栄養補給は、「日常生活の利便性」が悪い以外に、一つには「生き残っている消化器」を使わないことで、消化器機能の低下や、腸粘膜の絨毛が衰退することで細菌や毒素が入りやすくなるとい欠点もある。また、血管から直接いれたほうが効率的なように思えるが、胃腸を使った方が迂遠に見えるが、実は結果的に効率がよいことがわかってきた。このあたりは、「見た目の効率」を重視する某独裁者にも、良い教訓になると思うのだが(笑)。

ただ、旧来の経腸栄養法は、鼻腔から、胃や十二指腸までチューブを通し、そのチューブを使って栄養補給する方法が主流だった。中心静脈法に比べると、24時間の注入は不要だが、注入速度がゆっくりのため、患者によっては、起きている時間の大半を注入に使うケースもあるようだ。
母が入院していたときに、同室の患者で、経鼻注入の患者が何人もいたが、ごく希に、鼻からチューブを通されても問題がない患者は居ても、意識が有ればあるほど、痛みや違和感を憶える患者が多いようだった。
つっこまれたチューブを嫌がって抜こうとする患者と、それを説得したり、押さえつける看護師の争いを何度も見た。


私の嚥下障害が酷くなり、どんなに粉砕して工夫した料理でも、1回の食事に、何回もむせて、食事を終えるのに2時間もかかるようになって居たとき、経鼻チューブの患者の風景を思い出して、憂鬱になっていた。
そんな私を救ってくれたのが「胃瘻による経腸栄養法」だったのだ。

アナログ
2005/09/28

人間の想像力なんて、限度があるものだ。
かなり想像たくましいと思っていた私だが、経験してみないとわからないことはいっぱいあるのだなと思う。

別に、ALSだけではない。普通の人でも、健康でいれば、老衰により、足腰は衰えてくるものだ。
ALSは、その進行が極端だというだけのことだ。

かなり衰えていた、と思っていたのだが、まだまだもっと衰えるのがわかる。
デジタルのように、1か0、指や手足が無くなるのだとわかりやすいのだが、衰えはアナログだから、どこが到達点かわからない。
左手の親指は、もう100円ライターの点火も出来ないのだが、次のステップがあることがわかった(笑)。
朝、身体を起こそうとして、左手をつくと、親指が手のひらの下に入ってしまうのだ。
おそらくは、指を曲げようとする筋肉と、立てようとする筋肉の内、後者の弱りが激しいせいなのだろう。

さいわい、私は本格的なフラインドタッチは出来ずに、主に両手の人差し指がメインなので、キーボード操作には、余り影響はない。


ところで、胃ろう生活に幾つか補足する。

私は、トマトが大嫌いで、小学校の時、給食で出たトマトを、ムリヤリ食べさせられて戻して以来、トマトはもちろんトマトジュースも飲んだことはない(何故かケチャップだけは大丈夫だが(笑))。
ところが、ついに初めて、飲んでみた。もちろん、胃ろうを通じてだから、口も喉も通らない。
胃の方は、トマトをすんなり受け付けてくれた。
0でも1でもない、抜け穴が出来たのだ(笑)。
ただし、野菜ジュースやトマトジュースでは、本物に近いほど、微細片が残っているようで、イルリガートルのチューブの流れが時々悪くなるので、監視する必要がある。まさか、胃の拒否反応ではないと思うが(笑)。

そう言えば、栄養液は、全ての栄養素が入っているわけではないらしい。もちろん製品によって違いがあるだろうが、セレン欠乏症や、塩分、あるいは亜鉛、銅などが足りなくなると言う情報がネットにあった。

別にサプリ依存症ではないが、私は、マルチミネラルやマルチビタミンは以前から飲んでいた。だからそれを継続しているのだが、まだ、経口でプリンを食べることが出来るため、それで飲み込んでいた。しかし、それもそろそろキツくなりつつある。お湯で溶かす実験をしたが、これがなかなか溶けない。
で、ネットで色々調べたが、自動で硬いものを粉砕する「自動乳鉢」という機械は20万円以上するらしい。とてもじゃないので、とりあえず、画材やハーブの粉砕に使う安い乳鉢をネットで注文した。
しかし、注文したあとで、気が付いた。「硬いものを砕く」と言えば、コーヒーミルがあるではないか!

息子の書類を貰いに息子の出身校に行くついでに、安売り店に行くと、ミニミキサーと、ミル、そしてお茶の葉を微粉末にするという1台3役の製品が2000円弱だった。
こいつが見事にサプリを砕いてくれた。
ただ粉末が容器に付着して、少し無駄になるし、毎回洗うのもメンドイ。よく考えたら、毎回飲むサプリの種類は決まっている。もし残りが容器に付着していても、次に粉砕してもその成分には変わりがない。ならば、どんどん継ぎ足していって、有る程度の時間が来たら洗うことにした(笑)。
薬については、処方で「粉にする」と指示して貰っているので、問題はないが、錠剤を飲むのと違って、それを粉砕して注射器で注入する場合、成分の100%ではなく、何%かが失われているはずなのだが、まあ、気にしてもしょうがない(笑)。ましてサプリならロスは問題ないだろう。
乳鉢が届いたら比較実験するが、手の弱りが進行しているので、こちらの方が頼りになりそうだ。
乳鉢の別の使い方、考えないともったいないなぁ(笑)。

同じ店で、pH試験紙を探した。
栄養液に酒を混入したら、焼酎やバーボンでは問題なかったのに、ブランデーだと凝固して、澱状になってしまったのだ。翌日は、大吟醸の日本酒を入れると、ブランデーほどではないが、少し凝固したのだ。
いろいろ考えたが、原因は酸性度ではないかと考えたのだ。
しかし、尿蛋白の試験紙などはあったが、pH試験紙は売っていなかった。
いろいろ実験するつもりだったが、ネットでpH試験紙だけを購入するのは送料などで無駄が出るし、考えたら、もういろんな種類の酒は残っていない。
栄養液混入は、これまで何の問題もなかった甲類焼酎専用にすることにした。

同意
2005/09/24

前掲の、人工呼吸器装着拒否についての、家族の同意確認書がやっと届いた。

もちろん、すんなり同意してくれたわけではない。
人工呼吸器を着けた患者の介護の大変さは、家族も理解したようだ。しかし、やれるだけやってみて、それでも、私が辛いと思い始めたら、私の意志を第一にするが、「まだ何もしていないうちに結論を出すのは、家族に対しても自分に対しても失礼ではないか?」と言ってくれた。
その気持ちは、ありがたいことだ。
私も、「やってみることが出来る」のなら、そうしてみたい気持は十分ある。別に死に急いでいるわけではないのだ(笑)。

問題は、「一度、人工呼吸器を着けたら、二度と外すことは出来ない」ということなのだ。
私の指が動く間なら、自分で外すことは出来るだろう。しかし、同時にアラームが鳴り響く。もし、家族が在宅していて、そのアラームに気付けば元に戻すだろう。私の意志で外したと言うことがわかっていても、それを放置すれば、何らかの罪に問われることがあり得る。もし、私の指が動かない状況になっていれば、もちろん、外したものは、例え私の希望であっても殺人罪になる。

もし、私が、人工呼吸器を着けた場合に、自分で決着を付けるためには、指が動く間に決断しなければいけないし、その決断の日には、口実を作って、家族を旅行に出すなど、長時間不在状況を作り出さなければいけない。これは、明確な自殺だ。

人工呼吸器を「やってみた」ら、私が明確な自殺をするか、家族が殺人罪を犯すか、呼吸以外の理由で死に至るか、選択肢はそれしかなくなるのだ。

患者には、治療を受ける権利と、受けない権利があるはずだ。
末期癌では、制ガン剤の投与ではなく、苦痛を和らげる薬を投与する方を重視するというケースもあると聞く。
毎日投与される薬の選択権があるのに、動き続けてしまう機械を止める権利が無いというのは、どう考えても理不尽だ。


これらの事情を、何回も説明し、
「尊厳死法案が成立して、呼吸器を取り外しても殺人罪にならないような体制になれば再考する、あの同意確認書は、あくまで現時点のものと言うことで是非同意して欲しい。」
ということで、やっと同意をとりつけた。


しかし、ある意味で、「命を縮めるための」同意書を得るために、こんなに説得をしなければいけない、そしてその同意書が届いたことを喜べるしいうのは、絶対におかしいと思う。
その全責任は、あの事件を、「殺人罪で起訴した検察」と、「執行猶予付きとは言え有罪にした裁判官」にある。それさえなければ、こんな書類を作りたくなかった、と断言する。

司法関係者が、もし、これを読んでいたら、ぜひ考えを聞かせて欲しいが、弁護士ならともかく、検察官や裁判官はコメントするわけがないな(笑)

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